2015年04月16日

仲里嘉彦が描く沖縄のグランドデザイン

仲里嘉彦が描く沖縄のグランドデザイン


第7章 人生における恩師との交流録

    その32


ある時、吉田嗣延先生が東京女子医大に入院していたことから、これから見舞いに行くことを山野先生に告げると、私も久しく見舞いに行っていないとのことからご一緒することになった。


吉田先生はすでに植物人間状態で、まったく意識がない骨と皮ばかり痩せこけた姿を見るに忍びない思いで胸がつまった。


その帰りの車の中で、山野先生はぽつりと実は仲里さんね、この度、叙勲を受けろと通達があったが、断ってやったという話しをされたので、筆者は山野先生に叙勲というのは、これまで社会に貢献された方々に対して、天皇陛下から賜わるご褒美なんですから、自然体でお受け頂いた方がよろしいかと存じますが、とガラになく云ってしまったのであった。


山野先生は、そのことがずっと気にしておられたようで、翌年の昭和63年に、勲2等の叙勲の内示があった段階で、筆者に電話があった。まだ内示の段階であるので外部には漏らさないようにということであった。


外部に漏らさないということは、山野先生に取っては、それなりの理由があったのである。


実は鳥根県の知事選挙に立候補した山野先生は、NHKの速報で、山野候補当確のニュースが流れたが、開票結果は、相手候補に敗れるということがあったこともあり、慎重にならざるを得なかったかも知れない。


ところが、筆者は翌日、沖縄総合事務局に行き、局長をはじめ幹部の皆さんに、山野先生の叙勲についての大本営発表をしたのであった。


(仲里嘉彦が描く沖縄のグランドデザイン「第7章」より)

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2015年04月15日

仲里嘉彦が描く沖縄のグランドデザイン

仲里嘉彦が描く沖縄のグランドデザイン


第7章 人生における恩師との交流録

       その31


沖縄の祖国復帰に全力投球した山野幸吉先生


山野先生は加藤泰守先生の紹介で、昭和50年頃にお逢いしているが、その後、昭和58年6月の月刊「自治新報」創刊号の発刊までの期間は、浪人生活であったことから、まったく交流がなかった。


雑誌発行を機に交流が活発に展開されるようになった。


山野幸吉先生や藤仲貞一沖縄開発事務次官、吉田嗣延沖縄協会専務理事等の座談会が行われた時期に、山野先生からは赤坂の料亭「よし本」でよく接待された。


筆者も東京での重要な会議を持つときは「よし本」に沖縄開発事務次官を経験された方や、現役の事務次官などを良く接待したものである。


その中には、加藤泰守沖縄開発事務次官、藤仲貞一沖縄開発事務次官、小林悦夫沖縄開発事務次官、中山一郎元日本軽金属社長、瀬尾啓次郎元インドネシア・アサハン社長、伊藤善市東京女子大学教授、小澤大二沖縄国際センター初代所長、駒田敬一元沖縄総合事務局次長など、様々な方々との交流が料亭「よし本」を拠点に展開されたが、このような人々に対し、筆者が経営する春夏秋冬社の経営に関して、協力依頼はいっさいしたことはなく、もっぱら沖縄の振興開発にご尽力をということだけをひたすらお願いしたのであった。


山野先生とは筆者も、時事通信の内外情勢調査会の会員であったことから、先生の車で帝国ホテル等で開催される内外情勢調査会の全国大会の講演などご一緒させて頂いたりした。


(仲里嘉彦が描く沖縄のグランドデザイン「第7章」より)

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2015年04月14日

仲里嘉彦が描く沖縄のグランドデザイン

仲里嘉彦が描く沖縄のグランドデザイン


第7章 人生における恩師との交流録

       その30


月刊「白海新報」では21世紀の選択というタイトルで1万部を発行したのである。


これは月刊「自治新報」としては過去最高の発行部数であった。


これは恐らく、大田候補に自分が負けることはないという自信のあらわれではなかったかと思う。


選挙結果は西銘氏の敗北であった。

それから西銘知事は読書家との定評もあった。


稲嶺一郎先生の世界を舞台にのタイトルの本が2冊稲嶺先生に届けられたうちの1冊を、筆者が頂戴したが、2冊しかない1冊を筆者が先に読むことを躊躇したため、パラパラとページをめくっただけで、西銘知事に進呈したのである。


呈したところは、ちょうど沖縄県総合運動公園建設中で、その視察のため、中部を訪れていて、昼食は北中瓶村にあるプラザハウスであったが、大城栄禄秘書を通して本を差し上げたところ、昼食中、早速本に目を通しておられたことについては、稲嶺先生の項においても触れた通りである。


模合においては、骨まで愛してという城卓也の歌が18番で、よく歌われていたことを鮮明に記憶している。


大胆にして細心の心配りのある偉大な政治家の西銘順治先生には、主要ポストの大臣の誕生を期待していたが、それもかなわぬこととなり、残念である。


(仲里嘉彦が描く沖縄のグランドデザイン「第7章」より)

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