2013年08月15日

仲里嘉彦の自叙伝〔わが恩師〕小さき胸に抱きしデッカイ夢 (その593)

仲里嘉彦理事長


仲里嘉彦の自叙伝


〔わ  が  恩  師〕


小さき胸に抱きしデッカイ夢 (その
593



長いような短いような歴史の一駒の
12日間であった。

ホワ
イトハウスの前庭にはきょうもリスが走りまわっているだろう。

沖縄の人たちはいま、何を考えているのだろうか。


なお、この首脳会談の時の思い出として残るのは、首脳会談後、佐藤総理夫妻を主客としたワシントンの日本大使公邸での夕食会で下田大使があいさつされたが、下田大使はサンフランシスコ平和条約の吉田茂全権大使のことにふれつつ、佐藤・ニクソン会談の歴史的意義をたたえたまことに声涙下る名演説をされ、自ら絶句されたのが印象的であった。


列席の人々、佐藤総理夫妻、下田大使夫妻、竹下、石原両議員、愛知外務大臣、木村官房副長官、森外務審議官、東郷外務省北米局長、千葉外務省北米課長など、この佐藤内閣の一大政治課題の解決をこぞって祝福されたし、この時の佐藤さんのあけっぴろげの笑い顔は前にも後にもみたことがなかった。

私との握手の時も、「ご苦労でした」と両手で痛いほど私の手を握りしめられたものである。

寛子夫人からもねぎらいの言葉をいただいたが、その時のことであろう。

寛子夫人と私とが並んで金びょうぶの前で写したカラー写真が私の手もとに残されている。


寛子夫人といえば、私より相当年長のはずであるが、「美人は得」といっては失礼にわたるかもしれないが、この写真をみる限り、けっこうそれなりの写真にみえるから不思議である。


また、ボストンでライシャワーさんにお会いした時――この時は外務省北米課の佐藤行雄事務官に同行してもらったと記憶する。


(鰍ャょうせい発行 山野幸吉著書の「沖縄返還ひとりごと」より)



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2013年08月14日

仲里嘉彦の自叙伝〔わが恩師〕小さき胸に抱きしデッカイ夢 (その592)

仲里嘉彦理事長


仲里嘉彦の自叙伝


〔わ  が  恩  師〕


小さき胸に抱きしデッカイ夢 (その
592



ライシャワー教授訪問


それにつけても、私は、
23日(土曜日)の午後、ポストンに飛んで、元駐日大使のライシャワー教授をベルモント・ヒルの閑静な自宅に訪問した。

教授は私をみるやいなや、「よかったですね、山野さん、
1972年、核ぬき、本土並みでしょう−」と日本語でまくしたてて、私を面くらあせたものである。


私はライシャワー教授の自宅を訪問するのは今度で2回目であるが、きょうほどのライシャワー教授の晴れやかな顔はかつて見たことがなかった。

そして、今後の日米関係や極東情勢、
1970年代の日本の役割などそれからそれへと教授のはずんだ話はつきるところを知らなかった。


ニューヨーク・タイムスのハローラン記者も私の宿をたずねてくれてお互いに話し合った。


フイン日本部長との会見を終えて出ようとすると、マイヤー駐日大使がウィッケルさんといっしょにいて、「やあ、やあ」といった。彼は「共同声明おめでとう。

両首脳が相互に納得して立派な結果が得られたことは喜ばしい」といったあとで、「山野さん」といって自分の胸のワイシャツをつかんでみせて、「私の方はシャツまでとられて、裸ですよ」といった。

沖縄の返還交渉をポーカーの勝に負けたたとえで表現したものである。

さすがに外交官らしく人を喜ばせる術にすぐれているとほとほと感心した。


私はワシントン滞在中、そのほかいろいろな公私の人たちに会った。


ワシントンは一週間以上、小春日和がつづいている。私の心は青年のようにうきうきしていたが、同時に心の底には、かつてなかったような重い責任感のようなものが感じられた。

予定の仕事を全部終わって、私もあすは東京に出発することになる。


(鰍ャょうせい発行 山野幸吉著書の「沖縄返還ひとりごと」より)



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2013年08月13日

仲里嘉彦の自叙伝〔わが恩師〕小さき胸に抱きしデッカイ夢 (その591)

仲里嘉彦理事長


仲里嘉彦の自叙伝


〔わ  が  恩  師〕


小さき胸に抱きしデッカイ夢 (その
591



最後に「ヒッピー族について日本ではどうしているのか」という質問では、「ヒッピー族については自分も悩んでおり、米国に来たら良い対策が見つかるのではないかと期待していた。

それが今回の訪米の目的の1つでもある。しかし、まだよい対策は見当たらないようだ」 という総理の回答に一同、大笑いとなる。

重要会談を終わった、しかも成功裏に所期の目的を達成された総理の余裕がありありとうかがえる一幕であった。


アンドリユース空港


アンドリユース空軍基地の午後は、さすがに寒かった。

総理一行は軍用機でニューヨークに向かう。

私は3、4日、ワシントンに残って、国務省、国防省の担当官と今後のことを話し合う予定である。

飛行機が青空高く上がっていく。

頭をジーンとうたれるような気持ちである。ほんとうにご苦労さんでした。

ホテルに帰ると、一挙に、気づかれがでたのか、夕食もとらないで、私はこんこんと眠りにおちた。


⑶ 復帰準備で意見を交換


佐藤・ニクソン会談の終了で、沖縄返還の政治的課題は解決された。

しかし、沖縄の本土復帰の準備はこれからである。


私は、
24日、国防省にセイナ国防次官補をたずねて約2時間、懇談した。

25日には国務省でフイン日本部長と会い、昼食をとりながら2時間ばかり意見交換した。

話題の中心は、いうまでもなく、沖縄復帰準備のすすめ方についての意見交換であった。


(鰍ャょうせい発行 山野幸吉著書の「沖縄返還ひとりごと」より)



posted by 春夏秋冬 at 07:04| Comment(0) | 仲里嘉彦の自叙伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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