2012年01月11日

「胎動する沖縄企業」シリーズ66

「胎動する沖縄企業」シリーズ66

具 志 川 市

面  積=32.82平方キロ
人  口=41,270人
市  長=新 垣 幸 弥

具志川市は沖縄本島における交通の結節点である中部地区に位置し、同地区は石川、具志川、コザ、嘉手納、読谷などの中核的な都市があり、個性をもった都づくりをめざしこれらが一つになって那覇に対応する都市圏を形成している。具志川市は総面積32.82平方キロでうち軍用地は15.5%と中部地区では最も軍用地の比率が低いところである。

具志川市はとくに内陸型工業化を指向しているが、一方においてはコザ市、勝連村、美里村と提携して特定港湾の誘致にも積極的姿勢を示している。具志川市の復帰後の経済開発に関する基本的考えについては概要つぎのとおりである。

具志川地区への適正業種としては、機械、電気、輸送用、精密などの機械工業、沖縄本島の内陸部中核地区としての大規模内陸型工業などが考えられる。具志川地区の位置づけは中部地区に位置し、中部地区の開発方向によって位置づけがなされる。

地区のもつ立地条件の特徴としては、広大な開発適地があること、基地関係の労働力によって、機械系の技術力を期待できること、中部地区におけるコザ、読谷、嘉手納、具志川、石川と5つの中堅都市がそれぞれの機能を分担し、中部都市圏としての展開が可能なこと、中部地区は本島内の陸上交通の結節点にあたり、具志川地区はその「見付」的な性格をもつことなどがある。

これらの特徴は内陸部産業の開発適地としてきわめて有位な条件であり、発展の可能性が高い。このことから、内陸部の代表的な業種として、概械工業などの業種の展開が期待できる。また機械工業の発展のもう一つの素地として基地労働力がある。現在、基地に就労している労働者は次第に他産業へと転換をはからなければならない。

このような場合、現在の就労の職種がある程度の技術水準に達しているケ−スが考えられる。これらの技術力は、一般に機械工業の着目するところとなり、これらの展開を促進する要因としてみることができる。現に本土の戦後基地化した地区において、これら労働者が開発後多くの機械工場の集積の基盤になった地区を多くの例でみることができる。また沖縄の場合、基地の歴史が長いため、これらの労働者も地域への定着度が高い。

当地区の工業団地開発において造成の規模は約100万平方メートルと考える。開発の目標をどの視点をとって考えるかは、いろいろの見方があるが、その一面である工業開発についてみると、工業団地造成の目標規模としては100万平方メートル程度が考えられる。その理由として一つは、工業団地の経済規模という点があげられる。

これまで本土の各地で造成されている工業団地の経験からみると、やはりある程度以上の規模がないと必要な関連施設(たとえば取り付け道路、用排水、電力など)の経済単位にならない。第2番目は団地の地域への定着という面である。工業が地域へ及ぼす影響の最も第一義的に考えられるものとしては、工業生産による経済的な波及効果という点である。

第3番目として、工業団地の規模と当該市町村規模の相関度からみても、このことが一つの目安としている。その理由としては、本土の首都圏外縁部における町村の開発規模の想定を行なったときの例でみると、7万人の市において、その市が必要とする税収に見合う産業からの税収をバランスする規模としては76ヘクタールとなっている。

この例からして、ある程度有効に地域開発を進めていく工業団地の目標値は66万−100平方メートルとみる。この場合、ある程度近接した地区であれば一団地として考えられることは可能であろう。地域の開発を進めるための各種の制度、組織づくりなどを早急に進める必要がある。

本地区の沖縄における位置づけは、今回の調査でも一応の考え方が示されたが、これは「工業開発」という観点からの見方である。したがって2次産業以外の1次産業、3次産業を含めた産業開発計画、それと、都市区域、住宅地計画、緑地計画などの総合計画が早急に立てられなければならない。
産業新聞社「胎動する沖縄企業」より
仲里嘉彦
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2012年01月08日

「胎動する沖縄企業」シリーズ65

「胎動する沖縄企業」シリーズ65

コ  ザ  市

面  積〓25平方キロ
人  口〓68,000人
市  長〓大 山 朝 常

コザ市は那覇市につぐ沖縄第2の都市である。コザ市は那覇空港より車で45分、那覇港より35分、那覇市の北方約25キロのところに位置し、軍事基地への依存度が最も高いところである。コザ市は第2次世界大戦前は越来村とよばれる一農村であったが、戦後は米軍基地需要をまかなうために商工業がおこり、これにつれて発展、1956年7月1日には市制がしかれ、特異な国際娯楽都市を形成している。同市の東と北は砂糖の名産地、美里村に接し、西には米空軍の極東拠点基地である嘉手納空軍基地がある。

コザ市の商工業の形態は卸し、小売り業とサービス業で全体の83%を占めており、特にサロン、キャバレーなどを含む飲食店だけでも全事業所の22%を占めており、消費都市の形態をなしている。この数字からみても明らかなように米軍人、その家族、軍属などの需要をまかなうためのサービス業、とくにAサインバーなどで生計を立てているというのが実態である。

コザ市内における事業所は3,871軒でうち5人以下の事業所が全体の88%の零細企業で占められている。コザ市には直接米軍人、軍属およびその家族の需要をまかなう業種が多く市経済に大きな役割りを果たしているが、本土復帰とともにこれらの需要は減少の傾向をたどりコザ市を取りまく経済環境はますますきびしくなることが予想されている。

コザ市では、きびしい経済環境の整備のための方策として、まず第一に米軍関係需要の後退に伴う需要の落ち込みを本土観光客需要によって補てんしていくことを目標に日琉政府に対し、このための政策的配慮を要請するとともに観光関係者と協議しつつ観光ルートの設定などをなし、具体的に観光客誘致を促進する考えである。

コザ市は戦後27年間米軍基地に依存するという形で、これまで経済成長をなしてきたが、復帰後は米軍基地の縮小などにより、市民の経済そのものが大きく影響することになるが、これらの不安を解消するために市当局が真剣に検討しているのが観光開発と工業誘致関係といえよう。

観光開発については73年開催の準国体が沖縄で開催されるさい、コザ市内にも分会場を設置することになるので、できるだけ観光客を動員する体制を確立したいとしている。さらに75年開催の沖縄国際海洋博覧会に取り組む意欲も大変なものだ。具体的には現在、米空軍基地として極東拠点基地となっている嘉手納飛行場の4,000メートル滑走路2つのうち、1つを開放してもらうよう政府関係当局に要請しているが、この施設を開放されるとコザ市内の宿泊施設の利用はかなり高まるものと期待している。

国際海洋博覧会開催に伴ってコザ市内にも大規模なバスセンターを建設するよう政府に要請しているが、それらの計画はいずれも基地縮小に伴う市財政および市民生活の安定化を図るためである。コザ市の総面積の68%が軍用地となっている。

これらの軍用地のうち返還前に開放されるところがほとんどないことから観光開発のほか、工業開発についても積極的に取り組んでいく方針であり、近隣市町村との共同開発を推進する考えである。具体的にはコザ市、美里村、具志川市、勝連村で特定港湾建設促進協議会(会長・大山朝常コザ市長)を早くから設置して日本政府および琉球政府に対し中部地区泡瀬に特定港湾を建設してほしいとの要望を進めてきたが、政府は47年度予算で特定港湾建設調査費として2,500万円が計上されているため、やっと芽が出てきたと大山朝常コザ市長は語る。

ただ現在のところ特定港湾の建設場所が決定しているわけではないが、中部地区になることはほぼまちがいないとされていることもあり、コザ市としては特定港湾の誘致については楽観的な見方をしている。コザ市としては特定港湾を中部地区に誘致した場合は、石油などの公害企業を除き造船、機械工業、鉄鋼業などの労働集約型企業の誘致をすすめていく考えである。そのほか、農業関係においても、できるだけ力を注いでいく方針である。
産業新聞社「胎動する沖縄企業」より
仲里嘉彦
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2012年01月07日

「胎動する沖縄企業」シリーズ64

「胎動する沖縄企業」シリーズ64

糸  満  市

面  積=45平方キロ
人  口=37,000人
市  長=伊 敷 喜 蔵

糸満市は沖縄本島最南端にあり、1961年10月1日に市町村合併第1号として、脚光をあび糸満、高嶺、三和の1町3村が合併し、新糸満町建設のキャッチ・フレーズのもとに発足した南部地区の拠点となっている。

糸満市の人口は、3万7,014人で、沖縄の市町村では人口、面積両面においても大きい方にランクされる。

糸満市は、昨年10月総工費50万3,000ドルを投入して、新庁舎を完成させ、同年12月1日市に昇格した。

糸満市は新市誕生を起点として、今年から5カ年振興計画を策定、総合開発計画を推進中である。

糸満市は、沖紐最大の消費都市那覇市から10余キロのところに位置し、これまで農水産物の生産地として、その立地条件を十分いかしてきたが、特に水産業の市として古くから宣伝され、多くの実績を上げてきた。

現在では、さらに漁港も整備され漁船も十分科学装備をととのえて大型化の傾向にあり、今後も漁場の開拓と相まって、大きな期待が寄せられている。

さらに糸満市は、非常に変化に富んで景観豊かな長い海岸線を持ち、自然の観光資源に恵まれており、また、戦跡を中心とした平和公園の建設を進展しており、今後国民の保養地、あるいは観光地として十分開発可能な要素を備えている。

また、同市の立地条件と豊富な工業用地に着目した内外の企業が活発な動きを示し、すでに松下電器は市内に約7万平方メートルの用地を確保。年内には電子組立工場の建設に着手することになっている。

このほか、臨海工業地域として設定され、復帰後の公有水面埋め立て計画は、一段と進むこととなろう。

そのほか、政府も市内に水産研究センターを設置する計画がすでに打ち出されている。

糸満市は、すでに第1次計画として1968年に民間企業と提携して、公有水面8万2,500平方メートルの用地を造成、さらに1969年着工、1971年3月に約13万平方メートルの公有水面を埋め立てた。

これらの公有水面の埋め立て費用は、いずれも3.3平方メートル当たり20ドル前後となっている。

第3次埋め立て計画としては、さらに29万2,000平方メートルの公有水面を造成しようというもので、現在琉球政府に対し公有水面埋め立て計画に関する認可申請書を申請しているが、市当局としては、政府の許可が得られ次第、市で200万ドルの起債を発行して工事に着手したいとしている。

第3次造成計画地帯には、公共用地、住宅用地、公園用地、漁業関連用地などを計画しているほか陸上競技場として現在の名護総合グラウンドと同規模のグラウンドを建設するほか小倉球場とほぼ同規模のものを建設する構想である。糸満市の海岸のいわゆる公有水面埋め立ては、早くから本土企業などから注目されていたが、現在は、琉球工業連合会を中心に公有水面の造成計画が打ち出されている。

糸満地区の公有水面の経済的な埋め立て面積は、ほぼ530万平方メートルとされているが、琉球工業連合会として約300平方メートルを造成する計画である。この造成事業が順調に進めば、糸満市としても約70万平方メートルの用地を実費で譲り受けることにしている。

琉球工業連合会が計画しているのは、糸満中小工業団地造成組合に参加している30数社が中心となっているが、参加企業としては造成企業、およびこの関連産業、製糖関連企業、建材加工業、ガス企業、鉄工業およびこの関連企業、アルミ加工業、食品加工業などが中心となっている。

しかし、このような琉球工業連合会の公有水面造成計画を推進するために、糸満中小工業団地造成組合に参加している企業の自主財源で事業を推進することは、困難であると市当局ではみており、問題はありそうだ。糸満市としては農業、漁業、工業の3本を柱に復帰対策を進めていく方針である。
産業新聞社「胎動する沖縄企業」より
仲里嘉彦
posted by 春夏秋冬 at 06:29| Comment(0) | 胎動する沖縄企業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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