2012年01月18日

「胎動する沖縄企業」シリーズ69

「胎動する沖縄企業」シリーズ69


 

本  部  町


 

面  積=55.11平方キロ


   人  口=17,152

   町  長=並 里 安 博


本部町は、1971111日上本部村を吸収合併した人口17,152人の農漁業を中心とした町だ。本部町が旧上本部村と合併することになった理由としては次のことをあげている。市町村自治の本旨を実現し、住民福祉の増進を図るためには市町村の規模を合理化し活発な自治活動を行ない、合理的な行政運営を図らなければいけないが、本部町、上本部村は共に行政能力が乏しく人口は過疎化し産業、教育文化各面にふさわしい規模とはいえない。

伊野波間切時代から
275年、戦後3万人の人口を有した本部町が1947年に未来の繁栄をめざして分離した両町村ではあったが、わずか25年の間に社会事情は大きく変化し、住民の衣、食、住は向上したものの土木、産業、衛生、文化、水道、観光の諸施設は住民の福祉に余りにも遠いものがある。


このような現状下にある両町村は、この際合併により行政規模の適正化を図り、経済、社会および行政圏の一体化を図り、産業経済の飛躍的振興を促進し、強力な基盤を作りその運営を合理的かつ能率的にして住民永遠の福祉を確立し、市町村自治の目的を十分に達成し得るよう本部町、上本部村の合併を決意するものである。

以上のような趣旨に基づき
1971111日両町村は合併し、ただちに新町建設計画が打ち立てられたが、本部半島における海洋博覧会の本会場設置が内定したことから同計画を拡大修正する必要が生じ、現在琉球大学経済研究所に復帰後の経済開発のあり方についてマスタープラン作りを委嘱している段階である。


本部町の総面積は
55.11平方キロと他の市町村に比べると1人当りの耕地面積はかなり広いといえそうだ。そして本部町としては復帰後においても第1次産業を中心とした重点政策をとっていく方針であるが、国際条約に基づく国際海洋博覧会が世界で初めて沖縄本部半島で開催されることが内定したこともあり、復帰後はむしろ観光開発に重点が移されそうだ。


本部町の現在の計画によると渡久地一瀬底島地区に
40万平方メートルの公有水面の埋め立て計画を待っているが、造成の時期などについては現在のところきまっていないのが実情である。


いずれにせよ本部町としては第1次産業、商業、サービス業の3次産業に第2次産業としては公害のない労働集約型企業の誘致をすすめていきたいとしているが、具体的なアプローチは琉球大学経済研究所に委嘱しているマスタープランが完成したあとになるとしている。本部町としては当面沖縄国際海洋博覧会を誘致するため全町民が一体となって取りくんでいるが、本部半島が立地条件として優れていることについて次の諸点をあげている。


1
.立地選定が行なわれる場合に全町一致で協力する体制にあること、(イ)不当な土地取得の費用を要求しないこと、(ロ)将来の土地のスブロー化を防ぎ品格を保つために必要な町条例の制定などを準備していること、


2
.本部町としてはこれまで専門家等の意見を参考として海洋博および観光基地として異体的諸準備を急いでいる。


3
.本部町は海洋博等に必要な先行的調査について町全体としても自主的に協力的に行なう用意があること。


4
.本部町の特色(イ)美しい山と海の自然があり、かつ処女地的であること(既開発等によって汚されていない)(ロ)本部町を観光基地とすることには沖縄本島、北部地区開発期成会(市町村長、議会議長、農協長)等がすべて賛意を表明し推進していること、


5
.琉球大学臨海実験所建設用地として24,750平方メートルの用地を本部町より提供ずみであること、


本部町としては過疎化対策として現在すすめている海洋博覧会誘致が実現することになると、この経済効果ははかり知れないものがあり、又沖縄経済開発にも大きく影響することになるものと予想されるが、問題は町村一人一人の心がまえと技術的問題の解決をいかに調和を図りながらすすめていくか、これから解決していかなければいけない問題も多いといえよう。

               産業新聞社「胎動する沖縄企業」より 

                                       仲里嘉彦



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2012年01月17日

「胎動する沖縄企業」シリーズ68

「胎動する沖縄企業」シリーズ68


名   護   市


  面  積=
228平方キロ

  人  口=43,700

  市  長=渡具知 裕 徳


名護市は、
4581日を期し、旧名護町、羽地村、久志村、屋部村、屋我地村が合併してできた新しい都市である。


5町村は、名護町を中心として政治、経済、文化などすべての面で共通しており、1956年市町村合併促進法の立法化に伴い、5町村の合併が実現したものである。


新進都市名護市は、沖縄本島北部における唯一の市であり、沖縄の北都としての発展が約束されている。名護市の総面積は
228平方キロと、本島における市としては、最も面積が広くなっているが、人口は43,700人となっている。


名護市としては@観光開発A農業開発B漁業開発などを
3本の柱として経済開発をすすめていく方針である。そのほかには、公害の少ない軽工業、機械工業などの労働集約型企業の誘致を積極的にすすめていく考えである。


それと、沖縄国際海洋博覧会の本会場が本部に決定されたことにより、最もうるおうのはこの名護市だともいわれる。海洋博本会場の本部に通るためには、この名護市を避けて通るわけにはいかないからである。このため、名護市としては、宿泊施設や各種施設の建設に取り組んでいく方針であるが、規模などについては、現在のところ検討段階である。


名護市は、
73年から75年までの3カ年計画で、総工費250万ドルを投入して、35万平方メートルを名護湾の公有水面を埋め立てる計画を持っている。


この公有水面の埋め立て事業は、
1年次で70万ドル、2年次で130万ドル、3年次で50万ドルの250万ドルを投入するが、資金の調達は市の起債でまかなう。


公有水面埋め立て地には、公共施設、工業用地、住宅用地などを計画的に配置することにしている。このほか、政府事業として大規模な漁港の整備計画が出されている。


政府が予定している漁港建設計画は、
73年から実施に移され、75年には完成する予定だが、これに要する資金は、3936.100ドルとなっており、全額政府出資になる。


名護市は、沖縄の中心都市、那覇市から北に
70キロの位置にある。名護市の中心部は、名護港にいだかれ、東側に大浦湾、北西に羽地内海があり、嘉津字岳、多野岳、名護岳、久志岳、辺野古岳がつらなり、それらの高峯を源とする源河川、羽地大川、江間川、大浦川、有津川など沖縄においては非常に水資源にめぐまれた地域である。


市の総面積
228平方キロのうち、68%が山林、14%が原野となっており、農耕地などはきわめて少ないので、山林地帯の未踏査地区に関する開発がこんご期待されよう。


名護市としては、すでに農業研究センター設置や民間企業による食肉センターなどの設置が決定されている。市としては、現在のところ具体的な形では打ち出されているわけではないが、山中総理府総務長官は大浦湾の開発計画に意欲的なところを示しているので、こんごの動向が注目されるところである。


山中長官が、大浦湾の開発をすすめていくべきであるとする根拠は、工業用水が比較的確保しやすい、港湾建設が比較的容易であるということである。


過疎地域であることから公害問題について、それほど問題は出ないなども、その理由にあげているものとみられるが、市当局としてもこんごの問題として検討していく課題であるとしている。


現在、名護市を含め沖縄本島北部は、過疎的現象のはげしいところだが、大浦湾一帯の具体的な開発問題、漁業や農業をどのように近代化していくかそして、沖縄国際海洋博覧会にどのような形で参加していくか、また、地域経済開発にいかに活用していくかが今後の大きな課題である。


産業新聞社「胎動する沖縄企業」より

仲里嘉彦



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2012年01月16日

「胎動する沖縄企業」シリーズ67

「胎動する沖縄企業」シリーズ67

石  川  市

    面  積=19.30平方キロ
    人  口=30,000人
    市  長=平 川   崇

石川市は、沖縄本島中部に位置し本島では最も細い所で東西の端から端までがわずか4キロ足らずで、東に太平洋、西に東シナ海に囲まれた面積19.30平方キロの小さい市である。人ロは、約1万7,000人で市の中心を沖縄本島の主要道路の1つである13号線(軍道路)が通り、南部、北部への交通の便はよく、交通量は年々増加している。また、小高い市有地から見おろす金武湾はコバルト・ブルーに輝き、風景に富んでいるといえよう。

石川市は第2次世界大戦の生んだ新興都市で、戦前は中頭郡美里村政下の字石川と称され、当時は人口わずか1,800人という寒村であった。しかし、米軍が沖縄に上陸した翌日の1945年4月2日には、早くも同地に収容所が設けられ、各所に散在していた難民を収容することになってから人口は急激に増加を示した。そして、同年5月には人口1万5,000人、同年6月には2万人、7月には3万人となり、みるみるうちに人口はふくれ上がった。

石川市は、米軍の沖縄上陸で山間に避難していた住民が各地から集まってきて、人口が著しく増加し、戦後の新興都市として誕生し1945年に市制を敷いた。しかし、その後、戦後の混乱状態から次第に世の中が落ち着くにつれ、多くの住民が自分の町や新しい町に移動したためその後は人口1万6、7,000人前後におちついてきているのが実態である。石川市としては、復帰後の経済安定を図るため、総合的開発構想を持っているが、具体的プランニングの段階までは至っていない。しかし、同市は1968年11月着工、1970年7月に完成した公有水面埋め立て地に諸企業を積極的に誘致しようととの基本姿勢をもっている。

石川市は、赤崎原の公有水面を約22万平方メートル、約107万ドルを投入して、造成事業をすべてに完了、現在、アジアマリンサービスが修理ドックの建設を計画しているほか、政府立海員学校などが建設されている。そのほか、市はこのほど琉球電力会社に対し14万1,000平方メートルの用地を106万4,000ドルで、売買契約を結んだことは注目されよう。これは、琉球電力公社、および沖縄アルミニウムが共同火力発電所を建設することを前提に、公社が用地を確保したものである。

同地区における火力発電所の建設については、琉球電力公社が復帰とともに特殊法人として沖縄電力株式会社(仮称)に移行することになっていることから、実質的には沖縄電力と沖縄アルミニウムの共同建設の形をとる。すでに、琉球電力公社と沖縄アルミニウムは共同建設の形で同地区に12万5,000キロワット4基を建設することになっている。

この火力発電所の誘致については、石川市が積極的に取り組んできたもので、これにより関連企業の誘致もスムーズにいくと市当局では判断している。石川市としては、復帰後の経済基盤を築くためにはこんごさらに積極的に企業の誘致を促進していく方針であるが、業種としては造船、弱電などの労働集約型企業を対象業種にしたいとしている。このような基本的考えのもとに同市は公有水面を66万平方メートルを造成する構想を固めているが、造成事業に着手する時勤については明らかにしていない。

それに関連して港湾建設の構憩も持っているが、いずれも、復帰後に具体的計画が練られることになるもようである。これらの事業計画のほか、市有地が560平方メートルの用地があるため、近くゾーニング計画を立て、臨海工業企業、軽工業、農業地域、レクリエーション地域などの総合開発計画を持っている。これらの計画を推進することにより、石川市の復帰後の経済基盤を築くことができるという展望を持っている。

また石川市に隣接する金武村伊芸地区には、沖縄アルミニウムが、年産規模20万トンの国際規模のアルミ電解工場を建設することになっているため、直接、間接にも経済的影響が大きいと予想されている。以上みてきたように石川市としては砂糖を中心とする農業、軽工業、臨海型企業などを誘致するとともに開発と自然のバランスを保つため最大の努力を払う考えである。
産業新聞社「胎動する沖縄企業」より
仲里嘉彦
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