株式会社 琉 信
本 社=那覇市下泉町2−7−1
資本金=6,160万円(20万ドル)
社 長=外 間 政 幸
株式会社琉信は19航年9月17日、琉球銀行12万ドルその他8万ドル、合計20万ドルで設立された会社である。設立当時は信託部門と不動産部門からなり、不動産部門ではとくに分譲住宅関係に力を注いでいた。ところが昨年大蔵省は復帰後の信託銀行専業は認められないとの方針を打ち出したため、親会社の琉球銀行に金銭信託部門を分離譲渡したのは71年9月30日。そして琉球銀行は、普通銀行に信託も併営するという体制を71年10月1日からとることになった。それと同時に琉球信託は10月1日定款の一部変更を行なって社名を株式会社琉信とした。
琉信は琉球信託時代に長期貸し付け業務のほか、資金額の20%については不動産部門への投資が琉球政府によって認められていたこともあり、ぎりぎりいっぱいの線で不動産部門に対する積極的な投資を行なってきたが、現在の琉信はこの不動産部門が柱となっている。琉信は現在、分譲住宅を中心として住宅用地の造成などを積極的に進めているが、できれば家庭用建築資材と家庭一般商品販売部門にも本格的に進出する計画である。
同社はこのような考えの一環として71年、60%出資してつくった琉信興産は住宅部門への積極的進出の現われといえよう。
琉信興産(資本金7万ドル、社長・真栄城嘉夫氏)は71年4月30日、琉信の子会社、つまり琉球銀行の孫会社として設立した会社で現在はアルミ建材を中心とする資材販売を主体としている。
琉信興産は会社設立とともに日本アルミニウム工業と提携を結び、アルミニウムサッシ、アルミ器物、カーテンウォール、ストアフロント関係および工業製品など日本アルミニウム工業のオール製品を積極的に販売していく考えであるが、このような考えは親会社である株式会社琉信の意向を十分取り入れたものといえそうだ。
同社は沖縄では比較的大きな住宅団地の造成から建て売りを手がけてきたが、引きつづき年間300戸程度をベースに分譲住宅の建設をすすめていく方針である。
また、その場合、子会社の琉信興産からアルミサッシおよび家庭器物関係一切を購入することにより系列会社の育成を図っていく方針であることはいうまでもない。
琉信としては住宅用地の分譲および建て売り住宅の建設のほか、家庭機器および建築資材いっさいについてもできるだけ自社扱いとして商品の拡大を図っていく方針である。
また、沖縄国際海洋博覧会の開催は不動産会社として収益を伸ばす長大のチャンスとしてとらえ、うまく活用していく方針である。
また、住宅建設資材部門への本格的進出をめざすため、すでに市場調査を実施しているが、採算にあえば鉄筋丸棒、セメント関係も扱っていきたいとしている。
以上、みてきたように琉信はこれまでの信託部門を琉球鍍行に譲渡以降、不動産会社として意欲的な姿勢を示しているが、復帰後に大きな問題をかかえていることも事実で、これをいかに解決していくかが復帰後の課題となろう。
つまり、沖縄が祖国復帰することに伴い、沖縄にも日本の法律の適用を受けることになるが、その場合、銀行は一般企業に対して10%以上の株が持てないよう独禁法で規制されているからである。
この問題について琉信の大城常務は復帰後ただちに独禁法が適用されることになると現在琉球銀行が持っている12万ドル(60%)のうち50%をただちに一般に放出しなければならなくなるので問題であるが、われわれとしては日本政府もこのような問題について暫定措置を講じてくれることを期待しているのでその段階で対応策を考えたいとしている。
「胎動する沖縄企業」は、本日をもちまして終了となります。長い間、ご愛読頂きまして誠にありがとうございました。
引きつづき、1月31日より「沖縄の経済振興に協力する本土企業」を約3ヶ月にわたって連載することになっておりますので、ご期待ください。
産業新聞社「胎動する沖縄企業」より
仲里嘉彦