2020年10月28日

歴代総理のプロフィール


歴代総理のプロフィール



人生の羅針盤:沖縄の小・中・高生に、わが国の偉人を三省堂発行の日本人名事典よりインターネットで紹介することで、人生設計の指針になるよう願いを込めて連載するものである。


第58代総理大臣


池田勇人 (いけだ はやと)18991965(明治32〜昭和40)戦後の政治家。

生・広島県。学・京大。

大蔵省に入り、各地税務署長をふりだLに財務局長,主税局長などをへて、第1次吉田内閣の石橋蔵相から1947(昭和22)次官に抜擢されたが,’48退官して政界入りを決意。’49広島から衆院議員に当選、’第3次吉田内閣の蔵相となり、シャウプ税制、ドッジーラインによる財政政策を強力に推し進めて戦後資本主義復興の基礎を築いた。

50通産相を兼任、’51サンフランシスコ講和会議全権委員として渡米。

524次吉田内閣の通産相、’53自由党政調会長、’54同党幹事長を歴任。吉田茂の直系として佐藤栄作とともに党内に勢力を伸ばした。’53保全経済会問題・造船疑獄事件で逮捕寸前まで追込まれたが、吉田首相のはからいで異例の指揮権発動により救われた。’56石橋内閣’57岸内閣の各蔵相、’58国務相、

59通産相をへで、’607月首相に就任。’6411月に辞職するまで、3次にわたって内閣を組織した。

岸内閣が安保改定で強硬政策を行なったのに対して、〈所得倍増〉を唱えて国民の目を経済生活に向けさせ、〈低姿勢〉によって国民からの批判を避け、高度経済成長政策を強力に推し進めた。

6411月病気のため佐藤を後継者に指名して辞任した。



郷土の偉人を人生の羅針盤に:郷土沖縄に学び、人生設計の羅針盤としての役割を果たすべく三省堂発行の日本人名事典に収録された沖縄県出身の偉人を連日紹介することにする。(50音順)


そ の 38


尚健 (しょう けん)1818〜?(文政1〜?)幕末・明治初期の琉球王朝最後の摂政。尚灝王の第4子,母は真牛金。生・琉球(沖縄)首里。名・伊江朝直。幕末の故志・恩河事件では糾明奉行として新薩摩派に拷問をかけ2人を死に追いやった。

のち琉球処分の時は国王の最高補佐役摂政として多難の政局を担当。

1890(明治23)男爵を授けられた。





               元一般社団法人・万国津梁機構 理事長仲里嘉彦

                       沖縄県浦添市屋冨祖2丁目1番−9

               TEL098−8768896 FAX0988768473

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2020年10月27日

歴代総理のプロフィール



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人生の羅針盤:沖縄の小・中・高生に、わが国の偉人を三省堂発行の日本人名事典よりインターネットで紹介することで、人生設計の指針になるよう願いを込めて連載するものである。


第56代総理大臣


 岸信介 (きし のぶすけ) 18961987(明治29〜昭和62)昭和期の政治家。佐藤栄作の兄。 生・山口県、学・東大。

農商務省に入り、1936(昭和11)満州国実業部次長となり、「満州国」革新 官僚の筆頭と目された。帰国後、’40商工次官、’41東条内閣の商工相、’42翼賛選挙で翼賛議員として当選。東条内閣の戦争経済推進に積極的な役割を果たしたが、’44辞職を拒否して東条内閣倒壊の一因をつくった。

敗戦後、A級戦犯として逮捕。公職追放中は東洋パルプ会長・日本鋼材商事会長などをつとめ、追放解除後、’52衆院議員に当選、自由党憲法調査会会長となって憲法改正・再軍備を主唱し、タカ派の領袖となる。

54鳩山一郎らとともに自由党を除名され、日本民主党創立に参加、幹事長となる。’56自民党総裁選で石橋湛山に敗れたが、石橋内閣の外相に就任、’57石橋の病気辞任後、総裁をひきつぎ、内閣を組織。’60まで2期にわたり首相をつとめた。岸内閣は、日中貿易交渉を中断させ、警職法改正により戦前の治安体制の復活を企図し、さらに安保条約改定を強行するなど、対米従属的な強固政策をつづけたが,’60安保闘争の高揚によって辞職した。

その後は自民党顧問となり、’69沖縄返還交渉の際には単独渡米してニクソン大統領と会談、裏交渉に積極的役割を果たした。また憲法改正や台湾政権との結びつき強化などに活躍した。



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そ の 37


 尚敬 (しょう けい)170049(元禄13〜寛延2)江戸中期の琉球国中興の国王。

尚益王の子、母は真鶴金。生・沖縄。名・和名朝系。

1713(正徳314歳で父の跡を継いで以来在位37年間、天資聡明なる上に名宰相蔡温の輔弼を受け、尚真王につづいて沖縄の黄金時代を現出した。

その治績は,農政・林務・土木・水利・文化の各方面にわたっており、山林が恒久的に保護され、羽地川をはじめ国中の河川が改修されたのもこの時である。

文化的方面では明倫堂の学則制定や,歴史書「中山世譜」と「球陽」の編集、和歌・琉歌(沖縄の短歌)の興隆をはかったほか、芸能方面においては組踊や琉球古典舞踊の創作、陶磁器の製法改良をはかるとともに、絵画・彫刻を奨励し、併せて芸能人の社会的地位の向上をはかるなど沖縄のルネサンスを築いた。文化の興隆はその子の尚穆に引き継がれた。




               元一般社団法人・万国津梁機構 理事長仲里嘉彦

                       沖縄県浦添市屋冨祖2丁目1番−9

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2020年10月26日

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人生の羅針盤:沖縄の小・中・高生に、わが国の偉人を三省堂発行の日本人名事典よりインターネットで紹介することで、人生設計の指針になるよう願いを込めて連載するものである。


第53代、第54代は鳩山一郎のため割愛


第55代総理大臣


石橋湛山(いしばし たんざん)18841973(明治17〜昭和48)大正・昭和期のジャーナリスト・政治家。

身延山久遠寺の元管長日布上人の長男。生・東京。学・早大哲学科。

東京毎日新聞記者から東洋経済新報社に入り、編集局長をへて、1939(昭和14)社長。その間一貫して自由主義的立場からの論陣をはり、大正・昭和前期の非特権的産業資本家や進歩的知識人の主張を代表した。

敗戦後、自由党に入り、’461次吉田内閣の蔵相となり、復興金融金庫を中心にインフレ政策を促進。’47経済安定本部・物価庁長官を兼任したが、総司令部の覚書によって公職追放となる。

追放解除後,’51政令諮問委員に就任、’54鳩山内閣の通産相’56自由民主党総裁に選ばれ、石橋内閣を組織したが、病に倒れ、わずか3か月足らずの短命内閣に終った。

石橋内閣は、前鳩山内閣が日ソ国交回復を実現したのにひき続いて、同年中国貿易拡大を閣議決定するなど中国との開係正常化への政策に積極的であった。その後、’59中を訪問、’60日ソ協会会長、’64日本国際貿易促進協会総裁に就任するなど、ソ連・中国との交流促進につとめた。’63衆院選に落選するまで静岡から当選6回。



郷土の偉人を人生の羅針盤に:郷土沖縄に学び、人生設計の羅針盤としての役割を果たすべく三省堂発行の日本人名事典に収録された沖縄県出身の偉人を連日紹介することにする。(50音順)


そ の 36


 尚円 (しょう えん)141576(応永22〜文明8)室町前期、琉球の第2尚氏王統樹立者。生・沖縄伊是名島。名・幼名金丸。

百姓の家から身を起し、第1尚氏王統の尚泰久に仕え、西原間切内聞の領主となる。ついで外国貿易と那覇の市政を管理する御物城御鎖側官に抜擢された。泰久の跡を継いだその子の若き尚徳と意見が合わず、1468(応仁2)職を辞して領地に引退。

翌’69(文明1)尚徳死去。群衆尚蛸徳の世子を退けて金丸を推挙した。金丸は王位を纂奪するものと固辞したが容れられず、ついに位につき尚円と称した。尚円は人材を登用し、寛仁を以て民政をしいたので、万民業に励み安楽となったと伝える。

沖縄の封建的支配体制の基礎は彼とその子の尚真によって築かれ、,その王統は19400年の長きにわたって沖縄を支配し、1879(明治12)の醇藩置県まで続いた。




               元一般社団法人・万国津梁機構 理事長仲里嘉彦

                       沖縄県浦添市屋冨祖2丁目1番−9

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