2021年04月06日

わが国の偉人


沖縄県の小・中・高・大学生の各年齢層はもとより、一般県民の知識の泉・わが国の政治・経済・教育・文化・科学・スポーツ・芸術など各分野のトップクラス約15,000人を網羅した日本人名事典が三省堂から発行されているが、その中からさらに厳選して紹介することにより、歴史に関する知識が豊富となり、それが人生設計の羅針盤となればという思いから11月24日より連載することにした。(50音順)



そ の 121


池田成彬 (いけだ しげあき) 18671950(慶応3〜昭和25)大正・昭和期の政治家・財界人。米沢藩士池田成章の子。生・山形県。学・慶応義塾。

1888(明治21)卒業後ハーバー大学に入学し、バチェラーーオーアーツの称号をとる。

復帰後、時事新報社に入り、‘95三井銀行に入社,中上川彦次郎の目に留まり、足利支店長に就任した。

その後ヨーロッパの銀行業の視察などを行い、営業部長から常跨取締役に就任、三井銀行を金融界のトップに押し上げた。

また1920(大正9)の第1次大戦後の恐慌、‘23震災恐怖‘30〜‘31(昭和56)昭和恐慌をのりきるなかで、三井財閥のコンツェルン化をなしとげ、巨大金融資本としての地位を確立させた。

34三井合名常務理事となり、持株公開・停年制など近代化をはかり、<財閥の転向>を果たした。

36三井を退いたが、折からの戦時体制への転換のなかで、政界への進出が要請された。

そのため‘37日本銀行総裁になったあと、‘38第1次近衛内閣の組閣時に、財界人が直接経済政策をリードすることが必要であるということで蔵相兼商工相に就任した。その後、内閣参議、中央物価委員長、枢密顧問官をつとめ、戦前財界人のトップリーダ−であり、また大御所的存在でもあった。

敗戦後はA級戦犯容疑者となり、また公職追放の指定を受け、第一線から退いたが、なお政財界に一定の影響力を保っていた。

著・「財界回顧」「故人今人」1949.。伝記刊行会編「池田成彬伝」1962、、今村武雄「池田成彬伝」1984



              元一般社団法人・万国津梁機構 理事長仲里嘉彦

                       沖縄県浦添市屋冨祖2丁目1番9号

              TEL098−8768896 FAX0988768473









posted by 春夏秋冬 at 06:07| Comment(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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