2020年10月17日

歴代総理のプロフィール


歴代総理のプロフィール




人生の羅針盤:沖縄の小・中・高生に、わが国の偉人を三省堂発行の日本人名事典よりインターネットで紹介することで、人生設計の指針になるよう願いを込めて連載するものである。


第38代、第39代は近衛文麿であり割愛

第40代総理大臣

 東条英機 (とうじょう ひでき) 18841948(明治17〜昭和23)昭和期の陸軍軍人(大将)・政治家。

陸軍中将東条英教の長男。生・東京。学・陸士17期、陸大。

1915(大正4)陸大卒業後、陸軍省副官、’19スイス,’21ドイツに駐在し、帰国後陸大教官、軍務局課員をへて、’28(昭和3)整備局動員課長、’31参謀本部編成課長となる。

 〈統制派〉の中心と目され,〈皇道派〉全盛時代は不遇であったが、’35関東憲兵隊司令官として復活し、’37関東軍参謀長となり、’38板垣征四郎陸相の下で陸軍次官をつとめ、能吏ぶりを発揮して〈カミソリ東条〉といわれた。航空総監兼航空本部長をへで’402次近衛文麿内閣の陸相となり,第3次近衛内閣にも留任、日米交渉にさいして陸軍の強硬論を代表し、中国からの撤兵に反対して内閣を倒した。’41首相に就任し、陸相と内相を兼ね、対米英開戦の最高責任者となった。初期作戦の成功によって東条独裁の体制は強められ、’42候補者推薦制度による翼賛選挙を実施し、国内の戦争体制の強化が行なわれた。

しかし、陸軍と海軍の対立、統帥と国務の分裂を解消することができず、マーシャル群島失陥後の’44自ら参謀総長を兼任し史上空前の権限を一手に集中した。しかし、戦局の劣勢をくいとめることはできず、重臣内部での批判も強くなり、サイパン島が陥落した直後、’447月総辞職した。敗戦後占領軍の逮捕をおそれてピストル自殺を図ったが失敗、A級戦犯に指名され、極東国際軍事裁判において最高の戦争責任を問われ、’481223日絞首刑となった。

事務に堪能で決断力にとんだ典型的な軍人で、歴代首相中もっとも天皇の意図に忠実であったといわれる。

その独裁カも、陸軍を背景としたもので、天皇の信任が去ったとき、崩壊した。


郷土の偉人を人生の羅針盤に:郷土沖縄に学び、人生設計の羅針盤としての役割を果たすべく三省堂発行の日本人名事典に収録された沖縄県出身の偉人を連日紹介することにする。(50音順)


そ の 27


 幸地賢忠(こうち けんちゅう) 162382(元和9〜天和2)江戸前期の琉球の音楽家。賢盈の子。生・琉球(沖縄)首里。号を湛水。

湛水流の創始者。琉球王室に仕えて薩摩に4回も上国し、要職を経て具志川間切総地頭となった。その間生来の芸術的才能により沖縄の三味線に揺ぎない音楽的基礎を与え湛水流を創始したが,芸能に精進したあまり公職を疎かにしたためか、向象賢の綱紀粛正にあい、知行没収のうえ職を追われ、具志川間切田場に隠居し、剃髪して湛水と号した。向象賢の没後1676(延宝4)尚貞王に呼ばれ、茶道頭役に任命された。



               元一般社団法人・万国津梁機構 理事長仲里嘉彦

                       沖縄県浦添市屋冨祖2丁目1番−9

               TEL098−8768896 FAX0988768473

posted by 春夏秋冬 at 06:37| Comment(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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