2020年10月16日

歴代総理のプロフィール


歴代総理のプロフィール



人生の羅針盤:沖縄の小・中・高生に、わが国の偉人を三省堂発行の日本人名事典よりインターネットで紹介することで、人生設計の指針になるよう願いを込めて連載するものである。

第37代総理大臣

 米内光政 (よない みつまさ) 18801948(明治13〜昭和23)大正・昭和期の海軍軍人(大将)。

 生・岩手県。学・海兵29期、海大。

1901(明治34)海兵卒業後、砲術学校教官となり、’14(大正3)海大卒業後、旅順要港部参謀をへて、’15 〜’17ロシアに駐在。’17以降佐世保鎮守府参謀、浦塩(ウラジオストク)派遣軍司令部付、軍令部参謀をつとっめ、’20〜’22ベルリンに駐在。

、’26軍令部第3班長,’28(昭和3)第1遣外艦隊司令長官。’30ロンドン軍縮条約以後は〈艦隊派〉を抑える積極的役割を果たす。’36連合艦隊司令長官、’37林内閣の海相となり、引き続き第1次近衛・平沼内閣に留任。

401月阿部内閣の後を継いで首相に就任。親英米的性格のため日独伊三国同盟締結を望む陸軍側としばしば対立し、蘭印(オランダ領インドシナ)・仏印(フランス領インドシナ)問題での強◚硬論、ヨーロッパでのドイツのまき返しによる三国同盟締結促進の情勢等により内閣は不利な立場に追い込まれた。

さらに宮内大臣も軍部の支持する木戸幸一となり、近衛文麿も新体制運動を積極化したため、畑俊六陸相は米内に新体制運動に協力するよう説得した。

しかし畑陸相を解任し事態の乗り切りを図ったが、陸軍側は強く反発して後継陸相の推薦を拒否したため.同年7月総辞職。その後、・小磯・鈴木・東久邇・幣原各内閣の海相を歴任し、太平洋戦争寮終結と海軍の解体に当たった。

彼は、海軍軍人のなかでとくに国際的視野が広く、戦争の見通しについて確固とした信念をもち、陸軍強硬派への抵抗に終始し、降服のやむなきを主張しつづけた。


郷土の偉人を人生の羅針盤に:郷土沖縄に学び、人生設計の羅針盤としての役割を果たすべく三省堂発行の日本人名事典に収録された沖縄県出身の偉人を連日紹介することにする。(50音順)


そ の 26

漢那憲和 (かんな けんわ) 18771950(明治10〜昭和25)大正・昭和期の海軍軍人(少将)・政治家。

生・沖縄県那覇。学・海兵27期、海大。

県立沖縄中学時代、学生ストライキを指導、海大卒業後、1921(大正10)巡洋艦香取の艦長として皇太子(昭和天皇)の海外巡遊に随行。’25退官後,衆院議員となり当選5回。内務次官などを、歴任した。

江田島の兵学校教官のころ、鹿児島県出身の海相財部彪の来校歓迎会を沖縄人という理由で出席を断わったため,少将どまりで予備役にされたと伝えられる。


               元一般社団法人・万国津梁機構 理事長仲里嘉彦

                       沖縄県浦添市屋冨祖2丁目1番−9

               TEL098−8768896 FAX0988768473

posted by 春夏秋冬 at 06:44| Comment(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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