2020年10月14日

歴代総理のプロフィール


歴代総理のプロフィール


人生の羅針盤:沖縄の小・中・高生に、わが国の偉人を三省堂発行の日本人名事典よりインターネットで紹介することで、人生設計の指針になるよう願いを込めて連載するものである。

第35代総理大臣


 平沼騏一郎 (ひらぬま きいちろう) 18671952(慶応3〜昭和27)明治・大正・昭和期の司法官僚・政治家。

美作(岡山県)津山藩士平沼晋の子。号を機外。学・東大。

1888(明治21)司法省に入り、1905大審院検事、’06民刑局長を兼任、大逆事件では主任検事をつとめて社会主義抑圧のための〈暗黒裁判〉を指揮。その後第2次西園寺内閣の司法次官、’12(大正1)から10年間検事総長、’21大審院長、さらに第2次山本内閣の法相を歴任し、司法界きっての実力を築く。

24退官し貴院議員ついで枢密顧問官に任ぜられたが、折からの社会運動の噴出と政党政治の展開の中に西洋物質文明の害毒を見、同年復古的日本主義による国民教化を目指して〈国本社〉を創始、官界を中心にその影響力を広げていった。他に日大総長も兼任。

25からの枢府副議長時代に台湾銀行救済問題・ロンドン軍締条約批准問題などで時の政党内閣を苦しめ、満州事変後の政党否認の風潮の高まりの中で政変のつど軍部右翼の一角から首相候補に擬せられたが、元老西園寺らにその極端な右傾を警戒されて実らず、’34 (昭和9)の枢府議長昇格の機も逸した。

こうした疎外に対する不満から帝人事件・国体明徴運動を背後から指揮して倒閣に結びつけたといわれ、その隠然たる存在は政界に大きな影を落とした。

36226事件後枢府議長に昇格、’39内閣を組織。在任中〈総親和〉を掛声に国民精神総動員を強化したが、独ソ不可侵条約締結の報に接し〈複雑怪奇〉の迷句を残して退陣。

402次近衛内閣の国務相、内相。’45再び枢府議長をつとめ、ポッダム宣言受諾をめぐっては無条件降伏反対の立場を取った。敗戦後A級戦犯として極東軍事裁判で終身刑を宣告され、’52病気のため仮出所後死去した。


郷土の偉人を人生の羅針盤に:郷土沖縄に学び、人生設計の羅針盤としての役割を果たすべく三省堂発行の日本人名事典に収録された沖縄県出身の偉人を連日紹介することにする。(50音順)


そ の 24


 国頭正秀 (くにがみ まさひで) ?〜1871 (?〜明治4)幕末期の琉球の按司。生・琉球(沖縄)首里。

 1846 (弘化3)フランス艦隊3隻が琉球の那覇に来て開港をせまったとき、総理官代理として司令官セシルと交渉し退去させた。

 薩摩藩主島津斉興はその功を賞し王子に昇進させた。



               元一般社団法人・万国津梁機構 理事長仲里嘉彦

                       沖縄県浦添市屋冨祖2丁目1番−9

               TEL098−8768896 FAX0988768473

posted by 春夏秋冬 at 06:27| Comment(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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