沖縄市の今昔・夢未来(沖縄市制25周年記念誌)
その83
砂川収入役 コザ市と美里村が合併してがら25年が経過したところでありますが、復帰以降、県の指導に基づいて合併が実現したのは、沖縄市だけであります。
その合併を実現させることができましたのは、当時のコザ市長であられた大山先生と今日ご出席の当時の中村村長の呼吸がぴったりと合ったからであります。
合併のための事務局を設置してがら夜を徹して精力的に合併が実現したのであります。
私は当時、コザ市の職員として当初がら合併に携わってきましたので、当時のことについてはほぼ把握しているつもりでありますが、今日はざっくばらんにお話をいただければと思っております。
合併に携わった高良沖縄市水道局長や中村中城湾港開発推進協議会事務局長は合併の当初から携わってきておりますので、突っ込んだ話も必要ですが、当時のエピソード等を交えながらお話を頂きたいと思います。
そこでます、なぜ合併をしなければいけなかったかという背景等がら話題を展開して頂いた方が良いのではないがこ思っております。
司会 それでは、美里村の村長でありました中村先生よりお話を頂きたいと思います。
私が聞いておりますところでは、陸域で果たせない夢を海域でその夢を実現したいという願いもあったようで、その後、昭和59年から中城新港地区の事業が進められ、すでに多くの企業が張りつき、沖縄県経済発展に大きく貢献しておりますが、さらに沖縄市の長年の計画でありました東部海浜開発も近く運輸省に埋立願書を提出し、認可がおり次第、平成12年に工事に着手する運びとなっており、合併当時の夢が現実のものとなりつつあります。
それらのことを含めてお話を頂きたいと思います。
(2000年1月1日鰹t夏秋冬社発行の沖縄市の今昔・夢未来より)