2015年09月16日

沖縄市の今昔・夢未来(沖縄市制25周年記念誌)その79

沖縄市の今昔・夢未来(沖縄市制25周年記念誌)

その79


 仲宗根市長 その間、昭和59年3月の第11回審議会では、中間答申として現本庁舎跡と第2庁舎跡、それに上地地区の3ヶ所を候補地として答申し、さらに3年ぶりに開かれた昭和62年の第12回審議会(田里友哲会長・委員24名)では、この間の事情の変化や市有地がないことなどから上地地区が外され、本庁舎跡と第2庁舎跡の2ヶ所に候補地が絞られました。


位置選定が2ヶ所に分がれたことで、それぞれの地域ではさまざまな論議がなされ、強力な誘致合戦が展開されましたが、第1回審議会から足かけ5年に及ぶ20回の審議会を終えた審議会は、昭和6212月、委員の無記名投票という形で、最終的に現庁舎敷地を決定し、桑江市長に答申しました。


昭和6212月定例議会において市長は最終答申を尊重し、答申の課題を解決し最終決定するとの見解を表明しました。


昭和63年8月23日の庁議で建設位置を現本庁舎跡地(仲宗根町)にすることを正式に決定しました。


そこで、総合庁舎建設の目的について申し上げます。1つに、新しい沖縄市の位置つけと役割への対応であります。


沖縄県は、日本の南における国際交流の拠点として位置つけられ、それを実現するための方策として、県を4つの圏域に区分し、それぞれの特性を生かしながら開発整備する方向があります。


そのなかで本市は中南部圏に位置し、那覇市と機能分担しっつ総合的な都市整備をすすめます。


200011日鰹t夏秋冬社発行の沖縄市の今昔・夢未来より)

posted by 春夏秋冬 at 07:17| Comment(0) | 沖縄市の今昔・夢未来 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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