2015年06月26日

沖縄市の今昔・夢未来(沖縄市制25周年記念誌)その28

沖縄市の今昔・夢未来(沖縄市制25周年記念誌)

その28


砂川収入役 終戦後は護岸施設が戦禍及び1948年のグロリア台風により全潰し、その復旧が遅々として進まなかった為に広大な肥沃地が荒廃のまま放任された状態にありました。

従ってこれを総合的に開発事業を興すことによって中部地区における農業生産が飛躍的に増大することが約束されます。

よって我々は同地域の総合開発事業が早急に実現されることを要望するといった内容です。


また、同年9月24日には、中部振興会が行政主席に対し、「中城湾に面した東部地区一帯の総合開発」について要望を行うとともに、その旨、高等弁務官あて進達を依頼しています。


その内容は中城湾に面した中部地区一帯は戦前沖縄の穀物地帯とも言われた肥沃地帯で、その農業生産へは極めて大でありました。


終戦後は護岸施設が戦禍及び1948年のグロリア台風の惨害のために全潰し、その復旧が遅々として進まず、そのため広大な肥沃地が荒廃のまま放任されております。


従ってこれを総合的な開発事業を興すことによって中部地区における農業生産が飛躍的に増大することをが約束されます。


よって我々は同地域の総合開発が早急に実現されることを要望するとなっております。


なお、泡瀬内海の埋立ては既に工事着工の運びにあるとのことでありますが、浚渫船を使用して、泡瀬港の浚渫も同時にでさるよう特に尽力を要望するとなっております。


2000年1月1日鰹t夏秋冬社発行の沖縄市の今昔・夢未来より)

posted by 春夏秋冬 at 07:10| Comment(0) | 沖縄市の今昔・夢未来 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。