2015年05月07日

仲里嘉彦が描く沖縄のグランドデザイン

仲里嘉彦が描く沖縄のグランドデザイン


あとがき その4


また、この北海道苫小牧東部開発のほか、青森県むつ小川原開発計画、鹿児島県の新大隅開発計画などについても、昭和5711月3日に発行した筆者の「沖縄の夜明け」と題する本にも紹介するなど、東京での新聞記者時代に実際に視察したり、または新聞やテレビを通じて多くの知識を吸収し、それが蓄積されて、数多くのプロジェクトに関する構想を生み出す源泉となっている。


さらに、稲嶺先生は満鉄初代総裁の後藤新平を大変尊敬されていた。


筆者も後藤新平を日本の政治家で最も総理にしたかったほど、政治手腕のある人物として高く評価をしていた。つい最近ある雑誌の特集においても、47都道府県を代表する人物について後藤新平は、総理大臣を歴任された斉藤実をおさえ岩手県代表にあげられたのである。稲嶺先生も多分に後藤新平のスケールの大きい構想を常に頭で描き、これがヨーロッパ旅行で実践されたものと思われる。この稲嶺先生のスケールの大きな発想から、筆者は多くを学ぶことが出来た。


筆者は昭和58年6月に月刊「自治新報」を創刊し、最終号となった225号の発行は、平成18年1月であるが、この23年間は、時には使命感に燃え、また時には宿命を背負っているというまったく相反することの連続の日々であった。


社会の公器たるマスコミ人として雑誌づくりを通して論陣を展開することによって、沖縄県の経済的自立発展に尽くしたいという使命感に燃え、毎月月刊誌の発行に取り組んだのであるが、月ごとに借金が増える中で、この使命感が真逆の宿命に陥ることの繰り返しの連続であった。


(仲里嘉彦が描く沖縄のグランドデザイン「第7章」より)

posted by 春夏秋冬 at 07:37| Comment(0) | 仲里グランドデザイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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