2014年09月08日

東京のさくら名所今昔 その133

東京のさくら名所今昔 その133



その苗づくりはまずネマトーダなどの寄生のない接木用台木の山桜を、兵庫県から入手することからはじめられた。


これに接木をする種木は荒川の五色桜の中からその12月に採取し、青酸ガス燻蒸の上埋蔵し、翌明治44年2月に切接ぎが神奈川にある興津の園芸試験場で行われた。


その後無菌の場所で船積まで約10ケ月培養されている。


そして1912(明治45)年2月に横浜港で船づみされたのは、染井吉野1,800本と里桜111,300本で、今回は着後の植物検査にも賞讃された程の健全木であったという。


その3月27日には大統領夫人と日本大使夫人によって、植樹の式が行われて今日に至ったものである。


現在は池畔に約650本があり、その90パーセントが染井吉野で、残りは1920(大正9)年にアメリカで改良された、淡紅色の曙桜である。


この両種の満開日は平均的に4月5日であるという。


同時に贈られた里桜は南にあたる東ポトマック公園に植えられ、現存するのは関山、滝匂、彼岸、紅彼岸、十月桜の6種であるとのことである。


桜は本来できることなら実生が最も寿命が長い。


接ぎ木をするには、今の日本のごとく活着は容易でも、寿命が短くなるマザクラ(真桜)でなく山桜を台木に用いるとよい。


その点このワシントンに渡ったものは山桜を台木に接ぎ木している。


また接ぎ穂も台木も健全なものを求め、しかも病虫害を恐れてガス燻蒸をし、無菌の地で培養されたものであった。


さらに植栽地における保護管理には制度上はもちろん、科学的にも道徳的にも万全であったものであろう。


(相関芳郎著 東京都公園協会監修による東京のさくら名所今昔より)

posted by 春夏秋冬 at 08:25| Comment(0) | 東京のさくら名所今昔 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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