2014年06月30日

東京のさくら名所今昔 その84

東京のさくら名所今昔 その84



明治33年1月発行の『日本園芸会雑誌』92号においてである。

また学界への発表は翌34年で、松村任三博士により『植物学雑誌』174号に、プルヌス・エドエンシス(Prunusyedoensis,Matsumura)の学名で報告されている。

いうまでもなく「江戸産」という種小名が属名につづき、その末期の出現とはいえ、「江戸っ子桜」の名をとどめることとはなった。

その起源については、アメリカのウイルソン博士によるエドヒガンとオオシマザクラの雑種説のほか、伊豆大島自生説、朝鮮の済州島からの渡来説などがあり混乱していたが、国立遺伝学研究所の竹中要博士によって、ウイルソン博士の雑種説が裏付けられた。


まず染井吉野を実生栽培の結果、各部について多くの形質の分離を見たことから雑種であると推定し、それがオオシマザクラとエドヒガンの中間型を示すことから、この両種の雑種であると考えられ、昭和34年に発表されている。


さらにこの2種の交雑であることを立証するために、その後は両者間相互の交配をつづけた結果、遺伝学的にも裏付けられ、同37年に雑種説が発表された。


(相関芳郎著 東京都公園協会監修による東京のさくら名所今昔より)

posted by 春夏秋冬 at 07:42| Comment(0) | 東京のさくら名所今昔 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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