2014年02月28日

仲里嘉彦が描く沖縄のグランドデザインのあらまし

仲里嘉彦理事長


仲里嘉彦が描く沖縄のグランドデザインのあらまし



第2章 南北を縦貫する鉄軌道の早期建設をその
15

弾丸列車構想は戦争により幻に


さらに、昭和年代にはいると東海道本線の汽車と国道1号に共有していた交通網は、東京、横浜、京都、大阪、神戸の沿線の面積は全国の
16パーセントにすぎないのに、人口は約46パーセント、工業出荷額は70パーセントと交通網はパンク寸前で、新たに弾丸列車が計画され、昭和15年には国会で可決され、総額5億5,000万円の事業費で1940年から1954年までの15ケ年計画で、歴史上これまでなかった巨大プロジェクトであった。


その頃、日本を中心とする、アジアの国々には、ともに栄えようとする、大東亜共栄圏という考え方が日本人の大勢を占めている時代で、その考えから長崎から、朝鮮海峡まで、海底トンネルを掘り、弾丸列車を朝鮮まで走らせ、さらに、中国、満州と結び、南に向かって、インドシナ、タイ、マレーシアまで、アジア大陸縦貫鉄道を結ぶという大構想であったが、昭和
16年日米開戦に突入し、戦局はだんだん日本軍は不利となり、ついに昭和20年の終戦を迎えたことから、この弾丸列車計画は幻に終わったのである。


それからわが国は、昭和の
25年に勃発した朝鮮戦争による特需等もあり、徐々に戦後の復興の兆しが見えることになるが、さらに昭和30年代になると、わが国の経済成長は目覚ましく発展していったのである。


(仲里嘉彦が描く沖縄のグランドデザイン「第2章」より)


posted by 春夏秋冬 at 07:38| Comment(0) | 仲里グランドデザイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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