2013年08月03日

壮大なる沖縄ロマン・夢を追い求める群像    その236

壮大なる沖縄ロマン・夢を追い求める群像    その236


 崎間頭取 その頃は具志川の田場天願というところにありました。

その当時の上級学校は、文教学校と外語学校、警察学校等がその地域に集中しておりました。


 ―― その当時の外語学校の生徒は、年令的にかなりバラツキがあったようですね。

頭取なんかはストレートにはいった方ですから最も若いわけですね。


 崎間頭取 そうです。当時外語学校本科にはいるというのは大変なことでした。

大島を含めて全島ら
40名定員でしたからね。

八重山、大島、宮古はそれぞれの地域で選抜されて、先生よりも年輩の生徒もかなりおりましたね……。


 ―― 敗戦によって日本国民はうちひしがれ、とくに沖縄は地上戦が展開され、灰燼と化した中からとくに若者が、これからの県土づくりにかすかな希望みたいなものが出ていたんでしょうか。


 崎間頭取 その頃まで、そのようなしっかりした考えはなかったと思います。

沖縄の将来をどうしようというよりも、どう生きていくかということでしたね。

まずめしをどうするかという時代ですからね……本当に沖縄問題をまともに考えるようになったのは、大学にはいってからです。


 ―― 外国語学校の本科を卒業されて、それから大学に進学することになったのは、先生のすすめなんですか、それともご自身の意志によるものでしょうか。


 崎間頭取 それは自分自身の意志です。

沖縄での教育はここまでかという感じでしたが、ただ琉球大学が創設されるという話は決まっておりました。


琉球大学が出来ましても、外語学校の延長にしかすぎないという感じでしたから、アメリカに行って勉強するか、密航してでも本土の大学に行くかのいずれかの選択を考えていました。


事実本土の大学へ密航で行かれた方もおりましたからね……。


(平成
91025日鰹t夏秋冬社発行の「壮大なる沖縄ロマン・夢を追い求める群像」より)


posted by 春夏秋冬 at 06:48| Comment(0) | 壮大なる沖縄ロマン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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