2021年01月31日

沖縄県の著名人



沖縄県の政治・経済・社会・芸能・文化等各界の著名な人物や地名の由来、建造物、制度上の名称等について、沖縄タイムス社発行の「沖縄大百科事典」より令和3年1月16日から連載で紹介。



そ の 16


足利幕府への遣使 (あしかがばくふ へのけんし) 室町幕府(足利幕府)の時代は、琉球の察度(さっと)王統と第一尚氏王統、第二尚氏王統の前期にあたる。『運歩色葉集(うんぽいろはしゅう)』に、応永21年(141411月付の足利義持(よしもち)から琉球国王尚思紹にあてた返書の写しが載っている。

これが足利将軍と琉球国王との交渉を物語る最古の文書である。文書は仮名文で、印章があり、日本年号を用い、あて書は<りうきう国のよのぬし>(世の主)と書き、形式は将軍が国内の家臣に出す御内書(ごないしよ)に準じている。

以後も将軍の文書はこの様式が用いられた。このことは、将軍が琉球国王を外国の王と認めながらも、一面では足利氏の家臣なみに意識していたことを示している。

15世紀の中ごろまで、琉球王の幕府にたいする遣使は相当さかんにおこなわれた。記録に残るものでみると、ほぼ34年に1回くらいの割合になっている。

琉球船は、将軍への進上品のほかに,沈香(じんこう)・蘇木(そぼく)などの香薬類,南蛮絹・南蛮酒などの南海中継物資を多くもたらした。

『蔭涼軒日録(いんりょうけんにちろく)』では、<沈香は百済国の産出品だが、琉球を中継して中国・朝鮮・日本にもたらされるも                 

のであり、日本から朝鮮には沈香・胡椒(こしょう)・丁香を送っているが、この三つは朝鮮では貴重品である>としている。

ここにいう百済は南方の国名であろう。また同書は、1466年(文正1)琉球の使者が将軍に謁して退出するとき、総門の外で鉄砲を放って人々を驚かせたという話を載せている。なお、琉球船によって明の銅銭も多く輸入され、室町時代の進展する貨幣経済に重要な役割を果たした。琉球船の畿内(きない)への来航は、1430年代がもっとも頻繁で、以後はしだいに減少した。

1466年、幕府は琉球使船の貨物の点検の法規をゆるめて、渡来をさかんにさせようとしたが、応仁の乱で瀬戸内海の航行が困難となり、琉球船が兵庫に入港することはなくなった。→琉球奉行




               元一般社団法人・万国津梁機構 理事長仲里嘉彦

                       沖縄県浦添市屋冨祖2丁目1番−9

               TEL098−8768896 FAX0988768473

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沖縄県経済の概況


沖縄県経済の概況(出典:沖縄総

合事務局調査企画課発行)その31


E 部門別の概要

(さとうきび)

 さとうきびは、沖縄県における基幹作物であり、製糖業とともに地域経済の振興を図る上で重要な役割を担っている。

生産の動向をみると、平成元年産が178tと復帰後最高の収穫量になって以降、担い手の減少及び農業者の高齢化等から、収穫面積、収穫量とも減少傾向で推移していたが、平成17年度に県及び島ごとに「さとうきび増産プロジェクト会議」が設置され、その中で策定されたさとうきび増産計画の目標達成に向け関係機関が一体となって取り組んだこと、また、比較的大きな災害がなかったことから、その後、増加に転じた。

 さとうきびの増産については、令和7年産の新たな生産目標を90.2tに設定した「さとうきび増産計画」が平成27年度に策定され、目標達成のため、国、県及び関係団体が一体となって総合的に推進している。

 平成23年産は、復帰後最低の54.2tを記録したが、生産回復に向けた各種取組を実施した結果、回復傾向にあり、令和元年産は、梅雨明け後の日照不足や生育後期の干ばつ等が主な要因となり、約68tとなった。

 なお、生産者収入については、平成19年度からは、最低生産者価格制度が廃止され、市場動向を反映した販売額(原料代)と国からの交付金の二本立てで支払われている。



               元一般社団法人・万国津梁機構 理事長仲里嘉彦

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わが国の偉人


沖縄県の小・中・高・大学生の各年齢層はもとより、一般県民の知識の泉・わが国の政治・経済・教育・文化・科学・スポーツ・芸術など各分野のトップクラス約15,000人を網羅した日本人名事典が三省堂から発行されているが、その中からさらに厳選して紹介することにより、歴史に関する知識が豊富となり、それが人生設計の羅針盤となればという思いから11月24日より連載することにした。(50音順)


そ の 68


 麻生太賀吉 (あそう たかきち) 191180(明治44〜昭和55)昭和期の政治家・実業家。麻生太吉の孫、妻和子は吉田茂の娘。生・福岡県。 学・福岡中学。

麻生商店に入り、1934(昭和9)社長に就任。敗戦後、衆院議員に当選し、吉田内閣のときは側近第1号といわれた。日経連常任理事のほか、経済同友会幹事・経済復興会議副議長などをつとめ、政・財界の人的関係を保つのに力があった。


               元一般社団法人・万国津梁機構 理事長仲里嘉彦

                       沖縄県浦添市屋冨祖2丁目1番−9

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