2020年09月30日

歴代総理のプロフィール


歴代総理のプロフィール



人生の羅針盤:沖縄の小・中・高生に、わが国の偉人を三省堂発行の日本人名事典よりインターネットで紹介することで、人生設計の指針になるよう願いを込めて連載するものである。


19代総理大臣


 原  敬 (はら たかし) 18561921(安政3〜大正10)明治・大正期の政治家。南部藩家老職原直記の孫。直治の次男。岩手県盛岡生まれ。幼名健次郎、号を一山(逸山)。学・司法省法律学校中退。

1870(明治3)藩校作入館の修文所に入り、翌年藩主の経営する東京の英学校共慣義塾に学んだが、学費が続かず退学。フランス人経営の東京天主教会神学校に入り、洗礼をうけタビデ=ハラと称す。

76司法省法律学校に入ったが3年で退学処分となり、「郵便報知新聞」の記者となるが、改進党機関紙的色彩が強いため、’82帝政党系の「大東日報」に移った。まもなく外務省に入り、天津領事・パリ在勤書記官などをつとめたが、井上馨・陸奥宗光に認められ、

89農商務省に移る。

92陸奥が外相となると外務省に戻り、通商局長、外務次官をつとめた。

97陸奥の死とともに、朝鮮駐在公使を最後に官を退き、大阪毎日新聞社社長となった1900立憲政友会創立に参画、総務委員、幹事長などをつとめる。この間、北浜銀行頭取、古河鉱業副社長となり、財界にも勢力を築き、’02以後衆院議員に当選。第4次伊藤内閣の逓相、ついで第1次西園寺内閣・第1次山本内閣の内相に就任。

巧みに山県有朋系の藩閥勢力をだきこみ、他方西園寺引退後政友会総裁となり、会を指導しジャーナリズムの支持を失わなかった。 

18(大正7)米騒動で寺内内閣が倒れると政党政治家として最初の政党内閣を組閣、く平民宰相〉として世論の支持をうけた。

しかし社会運動を弾圧、普選拒否・シベリア出兵等ごの強硬政策を遂行し、世論の批判のたかまるなかで、’21114日、国鉄職員中岡艮一により東京駅頭で暗殺された。


郷土の偉人を人生の羅針盤に:郷土沖縄に学び、人生設計の羅針盤としての役割を果たすべく三省堂発行の日本人名事典に収録された沖縄県出身の偉人を連日紹介することにする。(50音順)

そ の I

上里春生(うえざと しゅんせい)  1902?〜39(明治35?〜昭和14)大正・昭和期の社会運動家・詩人・劇作家。

小学校長上里次介の長男、母はマツ。沖縄県伊江島生まれ。学・沖縄県立農林学校中退。上京して三木霧風の門下で詩作と戯曲の創作に専念。1923(大正12)関東大震災後大阪へゆき共産主義研究グループ赤琉会に属して運動に参加。

31(昭和6)帰郷、青年を糾合して大宜味村村政革新同盟を結成、革新運動を指導、そのため十数回検挙され、治安維持法違反で2年服役した。’35サイパン島に渡って新聞記者となったが、その地で病没した。


               元一般社団法人・万国津梁機構 理事長仲里嘉彦

                       沖縄県浦添市屋冨祖2丁目1番−9

               TEL098−8768896 FAX0988768473


posted by 春夏秋冬 at 16:27| Comment(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2050年北部圏域人口50万人の田園都市建設構想


2050年北部圏域人口50

万人の田園都市建設構想

                              (その23)




⑻ 本部半島を戦略特区に

国際リゾート政策提言を

夢と希望とロマンに満ちた巨大プロジェクトとして、本部半島国際リゾート拠点開発構想を安倍内閣の新たな戦略特区の中で政策として取り上げ外国資本の進出企業については法人税を10年間ゼロにするなどの思い切った制度を設計し、世界の代表的企業の誘致を促進することによって、地域振興を図ると同時に、わが国の経済をけん引する主要政策として位置付けることを提言したい。

ぜひとも韓国仁川のような法人税ゼロといった経済特区を戦略特区の中で位置付けた政策を打ち出していただくよう国に強く提案するものである。

 幸い、政府は2013614日、成長戦略・骨太方針を閣議決定し、沖縄については「成長著しいアジア市場に最も近接する位置にある沖縄について、国家戦略として特区制度の活用を図る」ことがうたわれ、また骨太の方針では「沖縄が日本のフロントランナーとして21世紀の成長モデルとなり、日本経済活性化のけん引力となるよう国家戦略として沖縄振興策を総合的、積極的に推進する」ことが明記されたが、沖縄県は国に対し成長戦略に関する要望書を提出しているものの、外国企業の誘致に関する法人税ゼロといった政策提言を行っておらず、政策立案に対する県の能力を疑わざるを得ない。

 わずかに名護市に十数年前に設置された金融特区において県知事の認可の下に、観光や情報産業が新たに加えられただけの情けないありさまであると言わざるを得ない。

 本部半島国際リゾート拠占開発構想は、名護市から本部町を経て今帰仁村から名護に至る約43`に及ぶ距離であるが、それは東京の山手線の円周34.5`を上回る規模である。

 さらに本部半島の周辺地域や、伊江島、伊是名、伊平屋の3離島と国頭村、東村、大宜味村を含む約701平万`に及ぶ広大な面積を対象とした本部半島国際リゾート拠点開発構想に位置付けて世界最高水準を目指した国際リゾート拠点地区および世界最大のマリーナとして運天港、羽地内海、塩屋内海を一体的に整備する構想である。

 今回は第1弾としての事業計画にとどめ、さらに第2弾、第3弾と計画の具体的内容について明らかにしていくことにした。


                  元一般社団法人・万国津梁機構 理事長仲里嘉彦



posted by 春夏秋冬 at 06:49| Comment(0) | 経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月29日

歴代総理のプロフィール


歴代総理のプロフィール



人生の羅針盤:沖縄の小・中・高生に、わが国の偉人を三省堂発行の日本人名事典よりインターネットで紹介することで、人生設計の指針になるよう願いを込めて連載するものである。


17代大隈重信は割愛

18代総理大臣


 寺内正毅(てらうち まさたけ) 18521919(嘉永5〜大正8)明治・大正期の陸軍軍人(元帥)・政治家。

 長州(山口県)藩士宇多田正輔の3男、母方の寺内家の養子。

 長州藩御楯隊で山田顕義・品川弥二郎らの指導を受け、のち整武隊に入り、箱館戦争(五稜郭の戦)に従事。

 維新後、兵部大輔大村益次郎に認められ大阪兵学寮に入った。 1871(明治4)陸軍少尉、西南戦争で右手を負傷、ために軍政面で活躍。

 1906大将に累進。この間陸相秘書官、陸軍士官学校長、第1師団参謀長、参謀本部第1局長を歴任し、新動員令の制定、7個師団から13個師団への拡張などにつとめた。

 ついで、’96軍務局長事務取扱、’98初代教育総監に就任し、さらに参謀本部次長、陸軍大学校長をへて、第1次桂内閣、第1次西園寺内閣、第2次桂内閣のもとに留任し海相山本権兵衛とともに日英陸・海軍協定の締結にあたった。

 1907子爵に叙せられ、’10朝鮮に併合が行われると、初代朝鮮総督として武断政治を行った。

 さらに伯爵にのぼり、’16(大正5)元帥となり、同年10月大隈内閣のあとを受け組閣。

 〈援段政策、シベリア出兵を強行し、軍備拡張、大衆課税の増微言論弾圧を行い、その超然主義的態度は、軍閥政治、〈非立憲内閣〉と世論の批判を受け、’18米騒動によって内閣は崩壊した。


郷土の偉人を人生の羅針盤に:郷土沖縄に学び、人生設計の羅針盤としての役割を果たすべく三省堂発行の日本人名事典に収録された沖縄県出身の偉人を連日紹介することにする。(50音順)


そ の H


伊良波尹吉 (いらは いんきち) 48861951(明治19〜昭和26)大正・昭和期の沖縄演劇俳優・沖縄歌劇作家。

沖縄県与那原生まれ。農家に生まれ、15歳で旅役者となる。

 才能を認められて本舞台へ出る。二枚目として活躍するかたわら、無学であったが口述で沖縄歌劇を創作、「奥山の牡丹」をはじめ200篇もの作品を残した。


               元一般社団法人・万国津梁機構 理事長仲里嘉彦

                        沖縄県浦添市屋冨祖2丁目19

               TEL098−8768896 FAX0988768473

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