2014年12月26日

仲里嘉彦が描く沖縄のグランドデザイン

仲里嘉彦が描く沖縄のグランドデザイン


第5章 観光客1,000万人のシナリオ その12


このように、京都迎賓館の委員長と副委員長が口を揃えて沖縄に迎賓館をつくると提唱しているにもかかわらず、このことについて沖縄では殆んど知られていないこともあり、沖縄県なり、沖縄経済界から迎賓館を誘致しようという運動は現在はない。


しかし、迎賓館は世界の国家元首や、大統嶺、首相など国賓をお迎えする国家としての重要な施設であり、この施設を沖縄に整備することになれば、沖縄に全世界の首脳会議が開催される度に、情報が電波に乗って世界に発信されることになり、沖縄に対する評価を高める効果は計り知れないものがある。


このような視点からこれから、那覇空港に隣接する航空自衛隊那覇基地を返還して頂き、その跡地利用として、第3の迎賓館をはじめ、IT産業や世界水準を行く医療センター等を整備することにより、沖縄の国際観光都市として位置づけて、那覇空港周辺から那覇都心部まで、再開発に結びつけていくような、大胆な発想に基づく施策の展開を求めるものである。


(仲里嘉彦が描く沖縄のグランドデザイン「第5章」より)

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2014年12月25日

沖縄の飛躍発展に向けた提言集その6

沖縄の飛躍発展に向けた提言集その6


つぎに、1967年から1971年の復帰直前の激動の時代と復帰40年の検証について、お話をすすめて参りたいと思います。

1967(昭和42)年11月の第2次佐藤・ジョンソン会談の後、1968(昭和43)年3月に「高等弁務官に対する日米琉諮問委員会」が設置され、復帰に向けた準備がスタートしました。

1969(昭和44)年の日米共同声明で1972年返還が決まると、翌1970(昭和45) 年3月には「復帰準備委員会」が設立され、琉球列島米国民政府 (USCAR)の機能を琉球政府や日本政府に移譲するための協議が行われました。


日本政府は1970 昭和45)年11月から3次にわたって「復帰対策要綱」を決定しました。


それには、日本政府の対沖縄施策、本土法の適用のほか、沖縄に対する国の具体的政策が示され、国費学生制度、ハンセン病患者の保護、沖縄開発庁設置、通貨交換レート、琉球政府および関係機関の取り扱い等、246項目が盛り込まれました。


琉球政府も1971(昭和46)年1月、復帰に広く県民の意思を反映させる目的で、各界の代表的人物50人余りで構成された「復帰対策県民会議」を設置しました。


アメリカ統治時代の琉球政府は、行政・司法・立法の三権が分立し、司法権を行使していたことなど、国家的要素もかなりの範囲で認められていたため、本土の都道府県のような地方公共同体とは異なった性質を持っていました。


(平成26年4月2日発行沖縄の飛躍発展に向けた提言集より)

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仲里嘉彦が描く沖縄のグランドデザイン

仲里嘉彦が描く沖縄のグランドデザイン


第5章 観光客1,000万人のシナリオ その11


東京女子大の名誉教授の伊藤善市先生や、沖縄開発事務次官を歴任された小玉正任先生が迎賓館を沖縄に建設することを主張しておられた。


伊藤先生が筆者に話のあった沖縄での迎賓館建設については、ついに活字にすることなく、まぼろしに終わって仕舞ったが、筆者の心にはしっかりと鮮明な記憶としてとどめており、今は亡き伊藤先生の遺言ともいえる迎賓館を是非とも実現させたいという強い思いである。


伊藤先生がかつて、京都迎賓館建設時の委員長の職にあられたが、たまたま東京の赤坂にある料亭「よし本」に先生をご案内して一夜飲みながら語り明かしたことがあった。


その当時、伊藤善市先生は、東京女子大の教授であったが、沖縄への造詣が深く、琉球大学や沖縄国際大学、沖縄大学などの先生方との交流も活発であった関係もあり、筆者も親しく交流していたのであった。そして「よし本」において、仲里君、今私は京都迎賓館の建設委員長をやっているが、これが終われば、いずれ沖縄に第3の迎賓館をつくることを提言したいといわれたことがあった。


そして、それから暫くして、伊藤先生の東京の自宅に電話を入れ、東京において、お話の合った第3の迎賓館を沖縄につくるというお話は、真剣に考えてよろしいかとお伺いしたところ、その通りということであった。


たまたま、沖縄開発事務次官を歴任された小玉正任先生も、ある論文で沖縄に第3の迎賓館をつくることを提案しているという情報を入手したため、2013年4月に小玉先生のお住いの横浜市の自宅に電話を入れて、先生の提唱する第3の迎賓館を沖縄につくるという構想について、お伺いしたところ、伊藤先生が京都迎賓館建設時の委員長で、小玉先生は副委員長として、15年間一緒に仕事をしたことが判明したのである。


そして、両氏とも沖縄への迎賓館建設を提言していたのであった。


(仲里嘉彦が描く沖縄のグランドデザイン「第5章」より)

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