2014年08月25日

壮大なる沖縄ロマン・夢を追い求める群像    その545

壮大なる沖縄ロマン・夢を追い求める群像    その545



 仲原 それは、墓穴を掘ったかっこうになったと思うんですが、戦後、熊本県農林学校の校長をやったと聞いております。

当時の二中の校長をやっておられた、敷屋先生と近藤先生には、胸像を建てられないかと言ってはばからないすばらしい先生ではあったわけです。

近藤先生は、当時、早川知事とは昵懇の中でしたので、度々農林学校に視察によくこられました。


早川知事の講和も聞きましたが、務むならば立つ、歴史立つということをおっしゃったんです。


それをわれわれは座右の銘にしているんですが、戦後嘉手納農林42期生のアルバムをつくったんですが、その表題にしております。


早川知事は絶えず沖縄の農林学校は日本一の学校だと言っておられましたし、また何でも一番になれとわれわれに教えられました。


校風としては、質実剛健を重んじておりましたし、戦後の北農においても試胆会や制裁が行われたと皆さんがおっしゃいますが、そのすばらしい伝統を受け継いでいるというふうに理解して頂ければと思っております。


先程潰のきく人間になれという話もございましたが、戦前、嘉手納農林を出た人は、どこにもっていっても潰のきく人間だという評価がなされております。


また、政治の社会においても県議には、県立農林卒業生で6名、北農を出たのが3名おります。


いずれにしても他の学校をリードしておりますし、戦後の高校の中でも北農は3名県議を出しているわけです。


何も政治の社会が偉いということではございませんが、他をリードしているという意味で申し上げたわけです。


土をいじり、物を育ててきた人間は潰がきくんですね。


産業経済においてもどこにおいても通じる人間が北農出身だという誇りを持ってよいと思うし、またその伝統を後輩にも継いで行くようお願い致したいですね。


(平成91025()春夏秋冬社発行の「壮大なる沖縄ロマン・夢を追い求める群像」より)

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2014年08月21日

東京のさくら名所今昔 その122

東京のさくら名所今昔 その122



小石川後楽園 

樹齢200年といわれた馬場桜は、昭和42年に枯れたが、いまは2代目の紅枝垂桜が樹勢も順調に生育し、3月下旬から花を見せてくれる。山桜の方が多いのも、日本庭園らしい趣きである。


月曜は休園日である。


<新宿区>

新宿御苑 


八重桜(里桜)が50数種もみられることでは、市街地無二の名所である。


およそ58ヘクタールの各所に約2,000本が植えられ、若木の後継樹植栽もつづけられてきた。


広い苑地で染井吉野も壮大に生育して見事であるが、日本庭園の枝垂彼岸のあたりまで歩を進めるべきであろう。


寒桜の2月からはじまり、山桜、里桜で花の終るのは4月末になる。


月曜日は休園である。


なお同苑があげる「桜廿選」によると、⑴彼岸枝垂、⑵染井吉野、⑶台湾緋桜、⑷一葉、⑸欝金、⑹十二月桜、⑺山桜、⑻関山、⑼雨宿、⑽松月、⑾宝珠、(12)駿河台匂、(13)菊桜、(14)普賢象、(15)大島桜、(16)朱雀、(17)天の川、(18)妹背、(19)琴平、(20)大提灯となっている。


(相関芳郎著 東京都公園協会監修による東京のさくら名所今昔より)

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壮大なる沖縄ロマン・夢を追い求める群像    その544

壮大なる沖縄ロマン・夢を追い求める群像    その544



嘉手納農林時代先生も制裁を奨励した

 仲原 先程制裁が13期まで続いたという話があったということですが、われわれ一期生からずーっと続いたわけですね。


県立嘉手納農林は、創立して43年の歴史があるんですが、嘉手納農林の時も寮制でございました。


東寮、西寮、北寮の3つの寮がありました。


これらの寮も戦時体制になってから近藤時太郎先生が農林道場と名称を変えました。


全生徒を集めて長息は長生きに通ずるという話をされました。


腹式呼吸をするとき、ハラで息を吸って口からはき出すようにする。


長く息を吸っておれば、健康につながり長生きにつながるということを教えられました。


当時も試胆会があり制裁が講堂で行われておりました。

先生方もむしろこのようなことを奨励する感じがありました。

その風潮が南々城で関学した北農にまで持ち込まれました。


しかも県下中学校の一中、二中、三中、師範、農林、水産、工業、商業の8校であったと記憶しておりますが、8校の中でも厳しい寮生活を強いられたのが、農林であったわけです。


試胆会、制裁も非常に厳しいものがありました。


現在のように学校でいじめの問題が社会問題になっておりますが、そのような性質のものではなくて、山里君が言ったような質実剛健な気風をつくり出したと思っております。


近藤時太郎先生は熊本県の出身ですよ。


ある先生が敗績されたと勘違いされたんですが、ストライキを起して私共が1年の時にやめて熊本に帰ったんです。


(平成91025()春夏秋冬社発行の「壮大なる沖縄ロマン・夢を追い求める群像」より)

posted by 春夏秋冬 at 16:40| Comment(0) | 壮大なる沖縄ロマン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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