2014年05月27日

東京のさくら名所今昔 その59

東京のさくら名所今昔 その59



南郊一円

まず大井来福寺をあげねばなるまい。


現、品川区東大井3丁目にあるこの海賞山来福寺は、江戸中期以前から境内に多くの名桜を集めてあったことで知られている。


その数は28品種に及んだが、その中でもすぐれた名品を「延命桜」といい、特に呼び物であったという。


この寺に延命地蔵が安置されていたことによる。


そもそもは梶原景時あるいは春日局が植えたものにはじまるといわれ、その後信者が次々と桜を寄進して、ここを桜の名所にしたというのである。


1775(安永4)年春には、俳人雪中庵蓼太の一門によって、27種の桜について一句ずつ句が詠まれ奉納されたことがあり、いっそう世間の評判になったという。


蜀山人も『花見の日記』に、2月23日に御殿山からこの寺に来て、さらに大井の来光寺にまわっていることを書いている。


その折、本堂の前と後に一面に植わっている61本について、配置図も措き品種名を書きいれている。


少し長いが品種紹介をかねて引用しておこう。


(上略)是比(このごろ)桜の名ある種を植継て28本に及へり、その1本は塩かま桜なるを林祭酒(林述齋先生の意)の詩を賜ふ、のこれる27をとふ、雪中庵蓼太門人にて発句をし額にかく、桜縁起といへる小冊寺より出て、今はそれよりもまた名木の類おほし


蓼太の発句の石碑あり

   世の中は3日見ぬ間のさくらかな


 

(相関芳郎著 東京都公園協会監修による東京のさくら名所今昔より)

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壮大なる沖縄ロマン・夢を追い求める群像    その481

壮大なる沖縄ロマン・夢を追い求める群像    その481



 小関氏 しかし、減税ということは政府からすると収入が減るわけですね。

そして、強いアメリカということで、飛行機であるとか、軍艦であるとか、ミサイル、戦車とかをどんどん買えばどうなるかといいますと、収入が減って支出が増えれば、赤字が増えるわけです。

そこで貿易赤字、財政赤字、家計の赤字と3人揃いましたね。

これらの赤字を何とかしなければならないのが、この次の選挙で当選した人の仕事です。


ですからブッシュさんが当選しようと、デユカキスさんが当選しようとやらなければいけない仕事は、三つ子の赤字をどうにかしなければいけないのが、アメリカ最大の課題です。


それじゃソ連はどうかといいますとソ連も負けました。


負けなくちゃ5月15日からアフガニスタンからソ連軍が撤退するわけないでしょう。


来年2月15日までに、全軍撤退するといっております。


あの強いソ連、今まで一度も戦争に負けたことのないソ連……軍事力だけは断然強いといわれていたソ連が何故負けたのか……アメリカとまったく同じです。


アメリカは南ベトナムを支持するために出ていきました。

そして結局失敗をしました。


ソ連はカブールに出来た共産政権を支えるために、今から9年前の1979年のクリスマスの日にカブールに進駐をしたわけです。それも結局失敗ですね。


今のところカブールの共産政権はつぶれておりません。


しかし、完全撤退の終る来年の2月15日以降どれだけ持つかということですね。


今カブールで外交団の間でカケが行われているようです。


ソ連軍が完全撤退して一週間でつぶれるだろうという見方が多く、1年持つという見方は殆どい

ないようです。


(平成91025()春夏秋冬社発行の「壮大なる沖縄ロマン・夢を追い求める群像」より)

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2014年05月25日

東京のさくら名所今昔 その58

東京のさくら名所今昔 その58



「(上略)この度名勝小金井桜を復興し、玉川上水の歴史と共に永く後世に伝えるため、

昭和43年以来、各方面の協力を得て桜の若木を補植しているものであります」とは、新橋北畔に立つ小金井市観光協会・同ロータリークラブの「名勝小金井桜」の碑の文であるが、それらは特に南側ですこぶる順調に生育している。喜ばしい限りである。


昭和55年2月現在の、喜平橋から新橋の間の在来樹総数は南側103本、北側105本、計208本で、うち幹囲り約2.4〜3メートルのものが6本、1.52.4メートルのものが14本ある。新旧合せて506本が近況である。

なお小金井市では約500メートル南の中町3−15−6にある「鈴木家のサクラ」を、市の文化財として指定している。


目通り約108メートルのもので、江戸時代に小金井堤用に植えた苗畑の残りの木であるとのことである。


道路に面して1本が停々と立っているが、なお樹勢は強健であり、ヤマザクラの自然の一樹形を示している。


花期に開かれている(昭和55年には4月3〜6日)同市教育委員会主催による「玉川上水・小金井桜展」には、貴重な多くの文献などが展示されたことをあわせて付記しておこう。


(相関芳郎著 東京都公園協会監修による東京のさくら名所今昔より)

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