2014年04月25日

東京のさくら名所今昔 その37

東京のさくら名所今昔 その37



昭和3年には国産奨励博覧会会場設営にともなう桜樹伐採事件が起きている。

はじめは博覧会側も軽視したが、公園が宮内省からの御下賜によることを知って、にわかに周章狼狽(ろうばい)をきわめ、商工会議所も公園課に陳謝これ努めたという。

市の参事会でも猛烈にこれを糾弾するところとなり、移植1,500本、伐採115本、枝払49本のところ、移植の形跡もなかったので、以後この種の博覧会には貸さないことになったという(昭和50年、東京都発行『東京の公園100年』)。公園樹木受難のほんの一例である。

太平洋戦争終結前後は、ご多分にもれず、浮浪者等による伐採などが行われた。


だが、昭和23年には地元有志の協力により、250本の寄付による植栽などがあり、翌年からは今日につづく「上野桜まつり」がはじめられている。


上野にはじめて桜が植えられてから、およそ350年たった今日、花の頃ともなると動物園への親子連れをはじめとして、美術館、博物館などへの行楽をかねて、都内各地から上野めざして集まる花見客の賑わいはすさまじいくらいである。


1683(天和3)年の『紫の一本(ひともと)』によれば、黒門前は身動きもできないほどと記しているが、最近は花の盛りを中心とした2週間で約500万人を数えるというから、その伝統は今もひきつがれているわけである。


地の利もさることながら、この盛況は桜とともに永遠に続くといって過言ではないであろう。


(相関芳郎著 東京都公園協会監修による東京のさくら名所今昔より)

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壮大なる沖縄ロマン・夢を追い求める群像    その459

壮大なる沖縄ロマン・夢を追い求める群像    その459



 又吉副会長 先程もお話がありましたように、1609年に島津藩によって琉球王国を侵略し、島津の配下におかれることになったわけですが、そのとき那覇港の防備はしっかりしていたわけです。

北側の三重城から南側の垣花のやらざ森に至るところの海中に鉄鎖を張りめぐらして、軍艦や船舶の航行が出来ないようになっていたんです。


それは1554年に鉄鎖を張りめぐらしておりますから、それを島津藩はよく承知しておりましたので、今帰仁の運天港や読谷から上陸し、陸路を通って首里城を包囲して落城させたわけです。


那覇港の海防の面ではちゃんとしていたわけですが、尚真王時代に武器を取り上げておりますので、首里城内の警護だけで武士は殆どいないわけです。


そのような状況において外から攻められても戦いにならないわけで、島津は飛び道具である鉄砲などの武器を使っていますから、戦闘をまじえることなく、負けて仕舞うことになるわけです。


そこで、時の琉球王国の尚寧王は、島津に琉球人はみな打ち殺されてしまうんじゃないかという不安から考えに考えぬいて、島津軍3,000人に包囲されて降伏することになったと思っております。


それから1660年に、首里城正殿、北殿、南殿が焼失するんですが、それを沖縄本島から木材を調達して復元するまでに11ヶ年の歳月を要しております。


離島には久米島に木材の調達のために渡っておりますので、久米島からも若干木材が入っているかも知れませんが、殆どは沖縄本島内で木材を調達しております。


(平成91025()春夏秋冬社発行の「壮大なる沖縄ロマン・夢を追い求める群像」より)

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2014年04月24日

東京のさくら名所今昔 その36

東京のさくら名所今昔 その36



東京市に下賜されたのは大正13年のことである。

この間明治11年には動物園の開園、12年には後の米大統領グラント将軍の来園、また16年には上野から熊谷までの鉄道の開通をみている。

桜についても、変貌が起った。染井の植木屋によって、維新後売り出されたというソメイヨシノの出現である。


園内に設けられた博物局天産課の田中芳男氏の指導によって行われた公園の桜の調査により、この種類が確認されている。


これを担当した藤野寄命氏は、園内には併せてヒガンザクラとヤマザクラもあり、前者には枝垂れもあり、後者には変種が多いとして、一応「あかめざくら」「にほひざくら」「あさぎざくら」「うめざきよしの」「あまのがは」「ふげんぞう」を記載している(明治33年『日本園芸界雑誌』92号、「上野公園桜花の性質」)。


一方山に沿って下を走る汽車の出現は、園内の樹林と植生を逐次むしばんでいった。


杉をはじめとする多くの針葉樹のほか、広く密生していた大木を立ち枯れさせていったのである。


原因は石炭の煤煙が放散する亜硫酸ガスで、沿線の日暮里、飛鳥山など旧来の桜の名所も、同様の被害を受けている。


桜も同様のことで、明治42年度には、同年4月の「朝日新聞」によると、上野公園に染井桜176本、吉野桜100本、山桜250本が補植されている。


その後、大正9年の室田老樹斎氏の調査によれば、上野の桜は府内第1位で2,500本あり、同12年の関東大震災により300本余りが焼失したという。


(相関芳郎著 東京都公園協会監修による東京のさくら名所今昔より)

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