2014年03月31日

東京のさくら名所今昔 その15

東京のさくら名所今昔 その15


以上の三名桜は古くから今に伝わる特に著名なものであるが、このほか江戸初期には、上野忍岡稲荷、谷中報恩寺、同善光寺、芝大仏(『江戸名所記』)、東叡山、谷中感応寺、浅草観音堂、四ッ谷自性院(『紫の一本』)等にもよく知られた桜があった。


花のお江戸づくり


1615(元和元)年の大阪夏の陣で豊臣氏が滅び、打ちつづいた戦乱も天草で一応終末をつげて、士民の生活もようやく平安になっていった。

幕府も諸制度の整備とともに、本格的な街づくりに入り、一方文民政策にも力をいれるようになった。

林羅山と天海僧正


儒学者林羅山、天台宗天海僧上(慈眼大師)の登用は家康の時からであり、彼らは3代にわたって将軍に仕え、またよき師として幕政に奉仕している。


のちに上野に聖堂と寛永寺を建てたのも、それぞれこの2人の進言によるものであった。


歴代の将軍が花を愛し風流を解したことにもよろうが、花のお江戸づくりは上野に住まいをおいた2人の雄傑によって、まずはじめられたといえよう。


(相関芳郎著 東京都公園協会監修による東京のさくら名所今昔より)

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壮大なる沖縄ロマン・夢を追い求める群像    その437

壮大なる沖縄ロマン・夢を追い求める群像    その437



 仲吉副会長 その後、1453年に、第一尚氏の尚金福王が亡くなり、王弟の布里と世子の志魯の王位争いで、正殿等は焼失しております。

そして2人共亡くなり王位に就いたのは王弟の尚泰久王です。
尚泰久王は1455年頃までには、正殿を再建したと推定されております。

尚泰久王は、1458年、長禄2年、明の天順2年に有名な銘文「琉球国は南海の勝地にして、三韓の秀を鐘め、大明を以って輔車となし、日域を以って唇歯となす、此の二中間にありて湧出する所の蓬莱嶋なり……」が刻まれた「万国津梁鐘」を殿前に掛けて琉球国の覇気を内外に示しました。


第二尚氏の尚真王32年、1508年永正5年、明の正徳3年に中華の宮室の制に倣い、初めて正面に龍柱を建て、基壇に青石(輝緑石)で石造欄干を造って、正殿を首里城の中心をなす宮殿として整備しております。


このことを含め尚真王の事績11ヶ条を「百浦添之欄干之銘」にして、翌年に欄干に刻銘して残しております。


その欄干には、麒麟、獅子、虎、龍、松、竹と珍花異草の彫刻があったと記されています。


1660年、尚質王13年、万治3年、清の順治17年に正殿は焼失しましたが、それから12年後の1671年、尚貞王3年、寛文11年、清の康煕10年に再建されました。


この時は本島内は勿論、久米島にも木材を求めております。

また龍柱と石造欄干は小禄産の細粒砂岩を用いています。


それまでの屋根は板葺きでありましたが、この時から赤瓦の本瓦葺きになったわけです。


(平成91025()春夏秋冬社発行の「壮大なる沖縄ロマン・夢を追い求める群像」より)

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2014年03月28日

仲里嘉彦が描く沖縄のグランドデザインのあらまし

仲里嘉彦理事長


仲里嘉彦が描く沖縄のグランドデザインのあらまし


第2章 南北を縦貫する鉄軌道の早期建設をその35


沖縄県では、那覇空港から沖縄市、うるま市の石川から恩納村に出て、それから西海岸線で名護に至るルートであるが、那覇から沖縄市、うるま市は、都市地区であることから、地下鉄の工法を採用するため、69キロのうち、実に70パーセントが地下鉄になっており、コストが一般の鉄道建設に比較して高いことに加え、車窓からの景観を楽しむことを望むべきもない。

つまり、地下鉄は利便性はあるものの、快適性や車窓からの景観を楽しむといった旅情も味わうことのできない無味乾燥な乗物にすぎない。


例えば、東海道新幹線で静岡県の富士山の麓を通過するときの感動は、正に旅行の醍醐味であるが、高架鉄道や、海峡鉄道から車窓のロケーションは、旅情を誘う価値観はほかに変え難い魅力がある。


従ってリゾート観光をリーディング産業として益々発展させるためには、移動のスピード化に加えて、旅情に配慮した乗物と、全県下を緑花や道路緑花により、パラダイス沖縄づくりの一環として鉄道建設にも十分配慮することが必要だ。


沖縄本島南北を縦貫する骨格幹線については、第1期工事としては、那覇から名護間とし、第2期工事としては、那覇から糸満間とする。


さらに最終的には南北を縦貫する骨格幹線については、国頭から南城市まで整備することによって、沖縄本島における均衡ある発展を期すことである。


骨格幹線のほか、那覇から与那原、佐敷線や、嘉手納から沖縄市、うるま市、名護から沖縄海洋博覧会など支線については、LRTまたは都市モノレールなど新交通システム導入について、検討するとともに、それぞれの地域にあった交通網の整備を図ることとする。


さらに、特定非営利活動法人沖縄県都市モノレール延伸・利用促進協議会においては、将来那覇市を環状線で結ぶ都市モノレール整備構想もあるが、那覇市に限らず、浦添市や、宜野湾市、沖縄市、うるま市、糸満市、豊見城市、南城市、名護市などの都市地区において都市モノレールや、LRTなどの公共交通システム導入についても検討し、国際観光都市(仮称)を目指した超近代化都市づくりを推進することが必要だ。


(仲里嘉彦が描く沖縄のグランドデザイン「第2章」より)


posted by 春夏秋冬 at 17:54| Comment(0) | 仲里グランドデザイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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