2014年02月21日

仲里嘉彦が描く沖縄のグランドデザインのあらまし

仲里嘉彦理事長


仲里嘉彦が描く沖縄のグランドデザインのあらまし



第2章 南北を縦貫する鉄軌道の早期建設をその9


ところが、今度は資金難のため、工事着工に至らず、明治
33年9月、自らの事業廃止届を提出して沖縄電気鉄道は解散した。

その後においても、本土資本による鉄道計画がなされた。


明治
39年5月に、東京在の伯爵吉井幸蔵を中心とした沖縄起業株式会社が、那覇から首里まで電気鉄道敷設を出願したのである。


この吉井幸蔵の父は、吉井友実で、わが国初の私鉄である日本鉄道の初代社長になった人物である。

なお、日本鉄道は明治
15年に設立された。

日本鉄道は、現在の東北本線や高崎線、常磐線など、東日本旅客鉄道(
JR東日本)の路線の多くを建設、運営した会社で、明治39年、日本鉄道を含め私鉄17社が吸収合併されて国鉄になったのである。


なお、吉井幸蔵は、
1869年イギリスに私費留学、1872年に海軍生となりアメリカ、ドイツ、イギリスなどを留学、1881年海軍兵学校を卒業後、海軍少佐となった後、貴族院議員など歴任された。


吉井幸蔵は、八重山諸島の西表島炭鉱の開発にも関与していたといわれ、大久保利和同様、沖縄の産業・経済を勢力下に収めるべく鉄道敷設を計画したものと思われる。


鉄道は那覇から首里間の出願後、首里から与那原、那覇から北谷間も出願し、翌明治
40年3月及び8月に全ての認可はおりたものの、資金調達が出来ず、明治42年6月工事施工申請の期限が迫り、延長願いを提出したが、鉄道院で却下され、同計画は水泡に帰したのである。(図説沖縄の鉄道より)


(仲里嘉彦が描く沖縄のグランドデザイン「第2章」より)


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壮大なる沖縄ロマン・夢を追い求める群像    その410

壮大なる沖縄ロマン・夢を追い求める群像    その410


 湧川会長 ガスの消費量は家族構成によっても違い、食事の煮炊きだけにガスを利用し、風呂は薪を使うという家庭もあれば、月に何度かすき焼き鍋を食べる家庭もあります。

要するに生活レベルや食生活によって、相当な差があることが判りました。


春夏秋冬、1年のうち季節によっても消費量が違う。

沖縄の年間平均気温
23度が大阪の九月頃の気候と同じであり、これも参考にして、沖縄における5人家族のガス消費量の概算値をはじき出し、関係筋に資料としてまとめ提出しました。


戸別調査に当たっては、国分商店ほか東京、名古屋、大阪、鹿児島の取引先の人たちに抽出してもらう等、協力してもらいました。


復金融資の見通しも立たず、米国民政府は都市ガス事業に対し疑義を投げかけ、中止した方が良いといい、事業推進するうえで最も難局を迎えていた昭和
331030日、会長である兄湧川善公が高血圧で倒れました。


何とか生命は取り止めたものの、半身不随になって、長期療養が必要とのことで、いよいよ私はピンチに立たされました。

ガス製造プラントは発注しており、株式も既に払い込まれているものの、建設資金の復金融資の許可が出ない。

それに兄善公の病いが重なって、私は八方塞がりとなり、「自分の企画が間違っていたのか」と言い知れぬ挫折感を味わい、自問する日が続きました。


(平成
91025日鰹t夏秋冬社発行の「壮大なる沖縄ロマン・夢を追い求める群像」より)


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2014年02月20日

仲里嘉彦が描く沖縄のグランドデザインのあらまし

仲里嘉彦理事長


仲里嘉彦が描く沖縄のグランドデザインのあらまし



第2章 南北を縦貫する鉄軌道の早期建設をその8


実は奈良原繁は、大久保利和の父、大久保利通とも親交があり、大久保利通が紀尾井坂の変で島田一郎に暗殺されたのち、明治
21年5月、西村捨三らとともに、紀尾井坂に「贈石大臣大久保公哀悼碑」を建立するなど、深い関係があったことが知られている。

かつて、奈良原繁が日本鉄道社長時代の役員でもあった大久保利和が沖縄県知事となった奈良原繁をたよって、鉄道事業を計画したのもごく自然の成り行きであったと思われる。


この奈良原繁は、杣山問題で、謝花昇らと対決を深め、謝花の組織した沖縄倶楽部への弾圧を徹底した強権を以って県政に臨みまた、官選知事として長期にわたって在任し、「琉球王」の異名を取るほど正に奈良原王国を沖縄に築いたのである。


特に奈良原知事とはごく親しい関係にあった、大久保利和としては、奈良原知事を後ろ盾に、沖縄での鉄道建設の目論見があったと思われる。


当初の計画では那覇から首里を経由して、与那原間に鉄道を建設するため、出願が行われた。


しかし、この計画は、日清戦争の勃発で一時中断することになるが、戦後の明治
28年再び那覇から佐敷まで延長して再出願を行った。


しかし、沖縄鉄道には免許は下りず、この計画は明治
31年却下される。


明治
29年6月、別途に沖縄電気鉄道として、那覇から首里間の電気鉄道敷設を出願、明治3012月に許可された。


(仲里嘉彦が描く沖縄のグランドデザイン「第2章」より)


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