2014年02月24日

壮大なる沖縄ロマン・夢を追い求める群像    その412

壮大なる沖縄ロマン・夢を追い求める群像    その412


 湧川会長 「沖縄瓦斯の許可条件がある。

この条件を認めるならば、あなた方は事業計画を進めなさい」「
OKNOか、返事は1つしかない」と切り出しました。

聴いている私はこれはえらい事になった≠ニ全身を耳にして条件なるものに聴き入りました。

示された条件というのは、借入申し込み
50万ドルのうち20万ドルは復金から融資する。

現在払い込まれている株式に追加して、あと
10万ドル追加払い込みさせること。

今後一切、復金融資を当てにするな。拡張とか新たな施設の建設費は、会社独自で増資するかまたは事業利益で充当すること。


以上3点を柱に全部で8項目の条件でありました。

ドル通貨切り換え前、
B円で借入申請したのを通貨切り換えでドル建てに読み変えた金額であります。

残りの条件項目で、琉球銀行の商業資金融資はいいとして、壷川の農連前までガス導管を延ばせという項目もあり「金は出さないのに何を言うか」と思われるような項目もありました。


私たち2人で即答出来るような条件ではなく、持ち帰って検討するとその場を退出、石川逢篤さんたち一部役員を含めて緊急の会議を開きましたが、条件を断れば融資の道を断たれ、ガス事業を中止せざるを得ない、事業推進のためには
OKと言って米国民政府に回答する以外になく、ハミルトン部長の条件提示を受諾したものの、その後に大きな問題が次々にのしかかってきました。


復金融資の決定は昭和
34年5月5日で、最初に米国民政府カーピントン資源開発部長に協力要請してから既に1年7ケ月が経過していました。

復金の貸付決定額はガス製造装置と工場建物を対象に
20万ドル。

復金と同時に申請していた琉球銀行も協調融資の形で建設資金
25万ドル、運転資金5万ドルを正式に融資決定され、琉球銀行の迅速な対応に感謝しました。


(平成
91025日鰹t夏秋冬社発行の「壮大なる沖縄ロマン・夢を追い求める群像」より)


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2014年02月22日

仲里嘉彦が描く沖縄のグランドデザインのあらまし

仲里嘉彦理事長


仲里嘉彦が描く沖縄のグランドデザインのあらまし



第2章 南北を縦貫する鉄軌道の早期建設をその
10

県鉄道国有化運動


大正
12年、糸満線の開業により、3路線48.2キロとなり軽便鉄道としては、岩手軽鉄、十勝鉄道に次ぐ3番目の営業距離を有する鉄道となった。


糸満線開業後、乗客は年間
100万人に迫る増加を示し、住民の足として定着していたが、鉄道財政の方は、与那原線の建設費及び嘉手納・糸満線の建設費不足分を捻出するために、県が起した県債の償還が収支を圧迫し、一般会計から補てんする状態で、県財政そのものの負担となっていた。

県の経済状態も景気の浮沈に翻弄され、他府県に比べ産業の遅れは明らかで、開通後、
10年を経た与那原線や、その他の施設の改良も進まず、大正13年から鉄道省より、嘉手納線の欠損に対する地方鉄道補助法に基づく補助が行われ、赤字の補てんには役立ったものの、大正年間においては、県財政に影響を及ぼし、県にとっては悩みのタネであった。


大正
15年、沖縄県の経済復興を目的とする請願書を各大臣あてに送り、国による救済を訴えた。この中に県鉄を買収し、国により設備の改良、経営を願うという項目がみられ、国有化論争の契機となった。


大正
11年に、改正鉄道敷設法が公布され、佐渡ケ島や淡路島にも国鉄予定線が計画されたが、沖縄では既に与那原線が開業し嘉手納・糸満線の免許も県が有していたことから、国による新設は計画されなかった。


(仲里嘉彦が描く沖縄のグランドデザイン「第2章」より)


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壮大なる沖縄ロマン・夢を追い求める群像    その411

壮大なる沖縄ロマン・夢を追い求める群像    その411


 湧川会長 先に進む事も出来ず、後に引く事はなおさら不可能であります。

このような窮地に立たされますと、もともと人間は弱いもので、自殺を考えたり夜逃げを思いついたりしますが、私にはそれが出来ず、幸いにも私は信仰という大事なものを持ち合わせており、ピンチに立たされてこれが救いとなりました。


ある人が「現在は最悪の状態だが、今暫く辛抱すれば窮地を脱し、目が開く」と信心にかかわる事を告げました。沖縄瓦斯を創立して6、7年間は、資金の手当て、原料油の問題、従業員、労務問題と次々に難問がふりかかり、あまりに苦しくてその間、三度ばかり「生命をすり減らすより、ガス事業を止めてしまおうか」と思った事があります。

善公、善太郎の両兄に「東京瓦斯へ泣きついて引き受けてもらうか」と言った事もありますが、その都度、道は開けてきました。

それはウヤグァンス(祖先)を崇拝し、神仏を敬う心が天に通じたものと常に感謝しております。


昭和
34年4月29日、米国民政府ハミルトン経済部長から呼び出しがありました。

その5日前にハミルトン経済部長がフォード同副部長、マーフィ建設技官を伴って当社を訪ねて実地検分をしており、また新たにどんな難題を持ち出されるかという不安と、良い返事がもらえるかも知れないという一片の希望が入り交じった気持ちで、仲里源盛さんと2人で米国民政府を訪問しました。


ハミルトン部長は2人が席に着くなり「今日は雨が降っていやな天気ですが、日本の天皇の誕生日であり、あなた方沖縄瓦斯にとっては非常に良い日になるでしょう」と言いました。

何を言い出すのかとひやひやしながら次の言葉を待ちました。


(平成
91025日鰹t夏秋冬社発行の「壮大なる沖縄ロマン・夢を追い求める群像」より)


posted by 春夏秋冬 at 11:15| Comment(0) | 壮大なる沖縄ロマン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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