2014年02月25日

仲里嘉彦が描く沖縄のグランドデザインのあらまし

仲里嘉彦理事長


仲里嘉彦が描く沖縄のグランドデザインのあらまし



第2章 南北を縦貫する鉄軌道の早期建設をその
12

いずれにしても、戦前運行されていた3つの路線は、国が起こした戦争によって、すべてが破壊されたのである。

従って、国は沖縄の戦後を文字通り終結させる意味からしても、沖縄本島を縦貫する鉄軌道の建設は国の責任において、早期実現を目指して頂くことを強く要望するものである。


沖縄県議会においては、祖国復帰後の
1974年に、「国鉄導入に関する意見書」を全会一致で可決し、さらに2000年7月14日、県議43人による、鉄軌道導入実現に向け、議員連盟を設立するなど、鉄軌道導入についての取り組みはあったものの、県民世論を喚起しながら、国に要請活動を積極的に展開してきたとはいいがたい面がある。


そのようなことから、沖縄県総体として鉄軌道導入に対する取り組みは、けっして十分ではなかった。


わが国の鉄道の歴史に学べ


日本は明治維新によって、長期に亘る鎖国政策から開国へと大きく政策を転換したものの、欧米列強の侵攻により、植民地化の危機に曝されていた。

それを阻止するため、富国強兵政策を打ち出した。


(仲里嘉彦が描く沖縄のグランドデザイン「第2章」より)


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壮大なる沖縄ロマン・夢を追い求める群像    その413

壮大なる沖縄ロマン・夢を追い求める群像    その413


 湧川会長 しかし、復金融資条件の1つである「増資−株式の追加払い込み」は、最大の難関でありました。

増資分の株式払い込み登記をしないと融資は実現しない。

会社創立時の第1回株式払い込みの際、一般公募が不振で、発起人の皆さんに懇願して割当分担した経緯があり、頼みにくいところ無理を承知で増資を依頼して回りました。

予想のとおり「払い込んだだけで済ましてくれ」と増資を断る株主が続出して、引受手のない株が
2,610株残りました。

これをどう処理するか、創立当初、1株
1,000B円でしたが、ドルに替わった時に額面を10ドルに変更、資本金5,000B円を50万ドルにしてありました。

それを次々に追加払い込みの指示をされては困ると思ったので、
35万ドルに減資したために株式も1株7ドルに切り下げました。

しかし、新聞に掲載される地元株相場の欄に沖縄瓦斯鰍ヘ3ドル
50セントの相場で、それを7ドルで売らねばならない難関にぶつかりました。


私は、電話帳を頼りにまず
199件の訪問先を抜き書きし、一軒一軒訪問する事にしました。

まるで僧侶の托鉢のようなものであります。
那覇のある資産家の元には日参するように通い続けました。

復金のある職員は「あの人は手許にカネはあっても出資はしません。

止めた方がいい」と忠告してくれましたが、私はどうしても引き受けて欲しいので、その後も通い続け
13回も足を運びましたが引き受けてもらえず遂にサジを投げました。


那覇や中部地区を主体にして、理解ある人たちに
10株、20株と引き受けてもらいました。

大口を探して那覇市に依頼したところ、
1,000株を引き受けてもらいました。

西銘順治市長、古堅宗徳助役、高良一市議会議長の頃でした。
地獄で仏とはこの事だと感謝しました。


(平成
91025日鰹t夏秋冬社発行の「壮大なる沖縄ロマン・夢を追い求める群像」より)


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2014年02月24日

仲里嘉彦が描く沖縄のグランドデザインのあらまし

仲里嘉彦理事長


仲里嘉彦が描く沖縄のグランドデザインのあらまし



第2章 南北を縦貫する鉄軌道の早期建設をその
11

年々輸送量が増加し、沖縄の動脈になりつつある鉄道を、乏しい県財政では設備改良が遅れ、ひいては、経済発展も遅れるなど、県は昭和に入って、しばしば陳情をくり返した。

昭和4年3月には、沖縄県選出の国会議員伊礼肇による「沖縄県鉄道買収の件」及び亀割安蔵の「同、国営移管の件」が衆議院を通過し成行が注目されたが、同年4月貴族院にて否決され「補助金は継続するが買収は不可」との発表があり、国有化の夢は挫折してしまった。(図説・沖縄の鉄道より)


沖縄本島南北を縦貫する鉄道の早期実現


沖縄において戦前は、3つの路線で沖縄県営鉄道が運行されていたが、去る第2次世界大戦において、沖縄はわが国唯一の地上戦が展開され、
20万余の人命が犠牲となり、また鉄道もこの沖縄地上戦において、ことごとく破壊され、戦後68年が経過した今日においても、大量輸送機関である定時・定速の鉄軌道の実現をみていないことは、国に責任があり、早期に全額国負担で鉄軌道を建設して頂きたい。


沖縄県営鉄道は、大正3年
12月1日与那原〜那覇間が開通し、大正11年に那覇〜嘉手納間が営業運転された。

さらに大正
12年より那覇〜糸満間が営業運転となった。


実は県が那覇〜嘉手納線の鉄道建設中の大正9年に国に対し、嘉手納から北部の拠点である名護まで鉄道の建設を、国に申請していたが、その計画は、国の許可を得ることが出来ず、幻に終わったという経緯がある。


(仲里嘉彦が描く沖縄のグランドデザイン「第2章」より)


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