2014年02月27日

壮大なる沖縄ロマン・夢を追い求める群像    その415

壮大なる沖縄ロマン・夢を追い求める群像    その415


 湧川会長 沖縄瓦斯もどん底で今にも潰れそうだが、いつかは、きっと花が咲く、根があれば花が咲く時期があるのだ。私は一枝の花に言い知れぬ感動を覚え、勇気づけられました。


会社の周辺は人家がまばらで風が強く樹木もほとんどなく、こんな環境で良くぞ花をつけたと思いました。


石井鉄工所に発注したガスプラントを引き取り、
LC(信用状)開設の問題等で催促を受け苦しい情況は復金融資と琉球銀行融資の実現で、やっと切り抜け、昭和34年5月から機械や資材の搬入が行われ、埋立造成した工場敷地は、作業に従事する人の動きで活気づきました。


プラント建設についても独自に調べなければならない点もあり、例えば煙突の問題−台風常習地帯の沖縄で巨大な煙突を建てなければならず、気象に関する本を購入して台風について調べ、風速
80メートルに耐えうるよう設計をしました。

ガス導管工事も並行して実施しましたが、この年はやたらと台風が沖縄本島に来襲、工事の進行を妨げましたが、専門の技術者を招聘してガス発生炉のスターティングテストをすませました。


昭和
35年1月13日、スターティングテストを実施した技術者、施工者、当社の役職員全員が参列して、沖縄瓦斯待望の火入式を挙行しました。

火入れは療養回復した善公社長の手で行われ、火焔が炉内に広がる感動の一瞬でした。


(平成
91025日鰹t夏秋冬社発行の「壮大なる沖縄ロマン・夢を追い求める群像」より)


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2014年02月26日

仲里嘉彦が描く沖縄のグランドデザインのあらまし

仲里嘉彦理事長


仲里嘉彦が描く沖縄のグランドデザインのあらまし



第2章 南北を縦貫する鉄軌道の早期建設をその
13

そのようなことから、莫大な国家資金を必要とする鉄道建設については、反対する意見が強かったといわれている。

その反対の代表的人物は、大久保利通であり、西郷隆盛などであったのである。


また東海道の各宿場において、旅籠で多くの人々が働いており、鉄道の建設によって、そこで働いている人々が失業するとか、人力車や籠屋さんが失業するとか、いろいろな理由で反対する意見があったのも事実だ。


ところが、鉄道建設の明治政府の中心的な役割を果たしたのが、当時民部・大蔵大輔であった大隈重信や、大蔵少輔の伊藤博文は鉄道建設に積極推進派であった。


とくに、大隈重信は佐賀藩出身で、
1853年にロシアの海軍中将のプチャーチンが日口通商条約締結を求めて、長崎に滞留していた時期に、佐賀藩の精練所の技術者の中村などがロシア艦船の見学が幕府より先に視察が許され、その船上に展示してある汽車の模型を観察し、それをもとに、佐賀藩において汽車の模型をつくり、展示したため、大隈重信はその模型を見ていた関係から、鉄道についての関心が強かったといわれている。


(仲里嘉彦が描く沖縄のグランドデザイン「第2章」より)


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壮大なる沖縄ロマン・夢を追い求める群像    その414

壮大なる沖縄ロマン・夢を追い求める群像    その414


 湧川会長 結局、この“托鉢勧誘”
199件をピックアップして実際に訪問したのは90件、60件が引き受けた段階で2,610株は消化することが出来、愁眉を開いたのでありました。


融資を受けるための増資については、その後も二度ばかり苦難の道を歩みましたが、会社の経営見通しが立った創立8年目頃からは「沖縄瓦斯は潰れる懸念はない」とみたのか、株式募集は楽になりました。


会社敷地の周辺に囲いがないのはいたって不用心であり、施設の保安上の問題があると考え、柵を造る事にしました。

資金不足で木材の柵にしようかと思いましたが、木材はすぐに腐れるし、当分本格的な柵は造れそうにない、杭をコンクリート製にし、有刺鉄線を張りめぐらすことにしてコンクリート杭の寸法を決め、1本の杭にセメントが幾ら、鉄筋が幾らと材料を原価計算して算出しました。

3,000坪の敷地の囲いであり、百数十本の杭が必要となりました。


柵作りを請け負ったのが宮城操さんで、ぎりぎりの工事予算だったので損はしなかっただろうが、儲けはなかったと思います。

しかし、人の縁というのは不思議なもので、後に私の次男誠治の嫁に宮城さんの娘をもらうとは、その時は知る由もありませんでした。


苦しい時、ふと目にした光景は長く記憶に残るものですが、沖縄瓦斯の本社事務所がトタン葺き平家の頃、建物の裏側に葉が落ちて枯れたような1本のデイゴの木がありました。

白い粉をふき、虫がついて枯れているかに見えましたが、目をこらして見ると枝の先に1つだけ花が咲いていました。


(平成
91025日鰹t夏秋冬社発行の「壮大なる沖縄ロマン・夢を追い求める群像」より)


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