2015年09月25日

沖縄市の今昔・夢未来(沖縄市制25周年記念誌)その83

沖縄市の今昔・夢未来(沖縄市制25周年記念誌)

その83


 砂川収入役 コザ市と美里村が合併してがら25年が経過したところでありますが、復帰以降、県の指導に基づいて合併が実現したのは、沖縄市だけであります。


その合併を実現させることができましたのは、当時のコザ市長であられた大山先生と今日ご出席の当時の中村村長の呼吸がぴったりと合ったからであります。


合併のための事務局を設置してがら夜を徹して精力的に合併が実現したのであります。


私は当時、コザ市の職員として当初がら合併に携わってきましたので、当時のことについてはほぼ把握しているつもりでありますが、今日はざっくばらんにお話をいただければと思っております。


合併に携わった高良沖縄市水道局長や中村中城湾港開発推進協議会事務局長は合併の当初から携わってきておりますので、突っ込んだ話も必要ですが、当時のエピソード等を交えながらお話を頂きたいと思います。


そこでます、なぜ合併をしなければいけなかったかという背景等がら話題を展開して頂いた方が良いのではないがこ思っております。


 司会 それでは、美里村の村長でありました中村先生よりお話を頂きたいと思います。


私が聞いておりますところでは、陸域で果たせない夢を海域でその夢を実現したいという願いもあったようで、その後、昭和59年から中城新港地区の事業が進められ、すでに多くの企業が張りつき、沖縄県経済発展に大きく貢献しておりますが、さらに沖縄市の長年の計画でありました東部海浜開発も近く運輸省に埋立願書を提出し、認可がおり次第、平成12年に工事に着手する運びとなっており、合併当時の夢が現実のものとなりつつあります。


それらのことを含めてお話を頂きたいと思います。


200011日鰹t夏秋冬社発行の沖縄市の今昔・夢未来より)

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沖縄の飛躍発展に向けた提言集その178

沖縄の飛躍発展に向けた提言集その178


万国津梁機構第14回定期講演会2回目

2013年7月20日 県立博物館・美術館)


比嘉幹郎 元沖縄県副知事



対日講和条約


日本は、第2次世界大戦で無条件降伏を受諾し、米国を中心とする連合軍の占領下に置かれました。


終戦から6年後の1951年9月、サンフランシスコにおいて対日講和条約に調印し、その条約は翌年4月28日に発効しました。


これによって、日本と締結国との戦争状態は正式に終結し、日本は朝鮮や台湾、南樺太、千島の主権を放棄し、国際連合憲章を守ることを誓い、独立国として国際社会に復帰しました。


しかし、同条約第3条により、沖縄や奄美大島などは日本から切り離され、引き続き米国の施政権下に放置されることになりました。


第3条は、「国連の委任統治下に沖縄を置くことを(米国が)提案するまで米国が事実上の主権を行使する」というものでした。


当時の米国務長官ジョン・フォスター・ダレスが考案した変則的な条項だと言われています。


先の大戦で日本本土防衛のため「捨て石」として犠牲になり、異民族支配下に置かれたわけですから、県民にとって4月28日は「屈辱の日」と言われており、日本政府が「主権回復の日」として祝うことに違和感を覚えるのは当然でしょう。


講和条約と同時に日米安全保障条約が締結されました。


この安保条約の第3条で、日本およびその周辺に配備される米国軍隊の法的地位については別に定めることになっていました。そこで、1952年1月末に日米間の交渉が開始され、同年2月28日に署名がなされたのが日米行政協定で、その正式名称は「日本国とアメリカ合衆国との問の安全保障条約第3条に基づく行政協定」です。


行政協定も講和条約と安保条約と共に1952年4月28日に発効しました。


このように、これら3つの国際間の取り決めは連結しており、パッケージとなっています。


(平成26年4月2日発行沖縄の飛躍発展に向けた提言集より)

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2015年09月24日

沖縄市の今昔・夢未来(沖縄市制25周年記念誌)その82

沖縄市の今昔・夢未来(沖縄市制25周年記念誌)

その82


市制25周年記念座談会 その2


沖縄市の今昔・夢未来


 座談会出席者


中 村 哲二郎 元美里村長

砂 川 正 男 沖縄市収入役


高 良   武 沖縄市水道局長

中 村 良 男 中城湾港開発推進協議会事務局長


司会 鰹t夏秋冬社代表取締役 仲里嘉彦


 司会 本日は、ご多忙のところ私共春夏秋冬社が企画致しました、沖縄市の市制25周年特集の一環として座談会にご出席を賜り誠にありがとうございます。


沖縄市は、沖縄県が復帰致しました2年後の昭和49年4月1日に当時のコザ市と美里村が合併致しまして沖縄市が誕生して25年が経過したところであります。


その間、中城新港地区の整備をはじめ、学校教育施設整備、道路交通網の整備、上下水道、公園等各面にわたる社会資本の整備が進み、沖縄市の発展の基盤が構築されてきたところであります。


さらに、昭和62年には、全国一巡の海邦国体に向けた沖縄県総合運動公園が整備されるとともに、石川市から首里までの沖縄自動車道が整備されるなど地域活性化に向けたさまざまな事業を通して発展を遂げてきたところであります。


そこでますはじめに、コザ市・美里村の合併に直接携わってきました砂川収入役より簡単に当時を振り返ってお話を頂きたいと思います。


200011日鰹t夏秋冬社発行の沖縄市の今昔・夢未来より)

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