2021年08月12日

沖縄発展の基礎を築いた第8代沖縄県知事・奈良原繁



    沖縄発展の基礎を築いた

   第8代沖縄県知事・奈良原繁



そ の 109


吉井幸蔵による沖縄起業の計画 


 この後、明治39年5月、同じく東京在であった伯爵、吉井幸蔵を中心として沖縄起業且ョ会社の名で那覇〜首里間に電気鉄道敷設を出願した。

彼は八重山諸島の西表炭鉱の開発に関与していたといわれ、先の大久保等計画と同様に、沖縄の産業・経済を勢力下に収めるべく鉄道敷設を推進しようと試みたと考えられる。

 なお、吉井幸蔵は日本鉄道初代社長の吉井友実の長男である。

 那覇〜首里間出願の後、首里〜与那原、那覇〜北谷間も出願し、翌明治40年3月及び8月に全て許可はおりたが、不況により資金調達が捗らず、明治42年6月に工事施行申請の期限が迫り延長願いを提出したが、鉄道院で却下され、免許は失効しこの計画も水泡に帰した。


沖縄県鉄道・太正3年12月1日与那原〜那覇間開通


 これまで県外の資本家によって計画された鉄道敷設はいずれも挫折して実現されることはなかったが、その後県内の諸産業が発展する上で陸上における大量輸送手段の登場が望まれ、馬車、人力車に代る鉄道敷設を実現させる機運が生じるのは明治も終わりに近づいた頃であった。

 初めて鉄道が計画された那覇〜首里〜与那原の地域について考えて見ると、那覇は県庁所在地であり、、本土航路の玄関口那覇港をひかえ、商業経済の中枢地。首里は琉球王国時代の首都で首里城を囲んだ城下町。

黒糖に次ぐ当時の県外移出品であった泡盛の酒蔵も多く那覇と並ぶ人口集中地域。

与那原は沖縄北部太平洋岸と与那原港を結んで物資輸送を行った山原船の碇泊地で北部から切出された木材・木炭を主に、消費地である那覇・首里へ、反対に生活物資が北部・離島へと運ばれる中継地として賑わっていた所であった。

 那覇〜与那原間は陸上輸送に頼っていたため、与那原は馬車輸送の基地でもあった。

鉄道開通前、与那原管内にあった荷馬車数を沖縄県統計書から拾い出してみると、明治3988台、明治43164台、明治45192台と産業発展に伴い物資の輸送が頻繁になって、馬車に代る輸送手段導入の必要性が県経済に携わる人々によって認められていくことになる。

 ついに大正2年5月から与那原線の実測をはじめ、同年12月に那覇桟橋方より着手、軌条は米国カーネギー社製を使用し、翌大正3年5月に機関車・客車が到着した。

大正3年6月25日那覇〜桟橋間で初試運転を行い、続いて9月11日には國場までの試運転、同月の1920日は各官公吏2627日は商工関係者・一般を乗せた列車が國場まで往復し、那覇駅で配られた試乗上券を手にした一般の人々もこの日の初乗りを楽しんだ。

そして同年12月1日、与那原〜那覇間に沖縄で初の軽便鉄道は開通したのである。



              元一般社団法人・万国津梁機構 理事長仲里嘉彦

                        沖縄県浦添市屋冨祖2丁目19

              TEL098−8768896 FAX0988768473








posted by 春夏秋冬 at 05:56| Comment(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月11日

沖縄発展の基礎を築いた第8代沖縄県知事・奈良原繁



    沖縄発展の基礎を築いた

   第8代沖縄県知事・奈良原繁




そ の 108


 この税制上の優遇措置とは具体的には日本鉄道と政府との関係は、特許条約書に示されており日本鉄道は政府によって様々な特典を与えられるとともに、見返りとして義務の制限を課された。

特典としてあげられるのは、@官有地にある線路や停車場などの鉄道用地や建築物の無償貸し付け。A民有地買収では、政府が買い上げて日本鉄道に払い下げする。 

B鉄道用地の国税免除。C株主の出金に対して建設期間中の年8分の利子補給・開業後、純益が年8分に不足する場合には、各区で異なるが、1015年にわたり不足利子を補う。D東京〜前橋間の建設工事は差栄府が代行する。第1区〜第5区建設工事の鉄道局への委託などであった。

E社用電信線を官有電柱に使用できるなど、私設鉄道でありながら官設鉄道の趣を呈していたのである。

 しかも日本鉄道の資本金は2,000万円と当時の沖縄県の年間予算の約20年分に相当する金額である。

 日本鉄道には、1881年4月に発起人総会で資金調達方針について意見が分かれ、紛糾したことがあったものの、5月には,池田章政(当時第十五銀行頭取ほか461人連名で創立願書と特許に関する請願書)を提出した。

 発起人の出資額によると第十五国立銀行の出資が130万円、三菱関係が約45万円、天皇関係が約35万円、華族個人関係が約70万円、福島県300万円、宮城県1,200万円、埼玉県250万円、栃木県250万円のほか、各県では郡役所を通じて戸長にわり当てたり地元有力者に引き受けさせて株主を募集した。

 日本鉄道は、民間企業の形態を取りながらもわが国を代表する大企業や国立銀行、華族さらに皇室からも出資するという国家的大プロジェクトが国のあらゆる優遇措置をもって事業が進められた一方、沖縄においては沖縄県や明治政府の何等の優遇措置を講ずるこことなく、裸の状態で鉄道事業を起こすことは日本鉄道建設に携わった大久保利昭からすれば、無謀な冒険といわざるを得ない。

このような意味では、却下されたほう莫大な借金を抱えて苦労するより、大久保利昭にとってむしろ幸いだといえると思えてならない。



              元一般社団法人・万国津梁機構 理事長仲里嘉彦

                       沖縄県浦添市屋冨祖2丁目19

              TEL098−8768896 FAX0988768473





posted by 春夏秋冬 at 06:13| Comment(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月10日

沖縄発展の基礎を築いた第8代沖縄県知事・奈良原繁



    沖縄発展の基礎を築いた

   第8代沖縄県知事・奈良原繁



そ の 107


 しかし、沖縄における鉄道事業においては、日本鉄道のような国の優遇措置はまったく期待出来る状況にはなく、また、日本一貧乏県の沖縄においては、大企業もなく、民間の出資も期待できないばかりか、地方と都市との人間の移動も禁止されている状況において人間の移動手段としての輸送は限定的で、むしろ砂糖キビや砂糖樽の物流が主流とならざるを得ず、本土に比べて鉄道事業はあまりにも条件が悪いと言わざるを得ない。

 このような本土とは異なる事情について大久保利昭は十分承知の上での沖縄での鉄道事業計画であったと思われる。

大久保利昭としては同じ薩摩出身というだけではなく先に述べたように、日本鉄道の創立から甲武鉄道の経営においても深い関係があり、沖縄での鉄道においても奈良原全面的なバックアップするとの期待のもとにのもとに鉄道建設に野心を抱いていたものといえる。

 奈良原は伊藤博文や、松方正義など歴代総理をはじめ、中央との太いパイプのあるこのコネを利用して鉄道事業を実現させようという強い思い込みがあったのではないかと推察するものである。

しかし、当時はどう考えでも鉄道事業が採算に乗らないという判断が奈良原知事にはあって、鉄道敷設計画書には書類手続きは不備がなければ当然許可を出さざるを得ないが、政府や薩摩財閥の支援のもとに奈良原知事が全面的に鉄道事業に協力するという体制を取らなかったと判断したのではないかと思われる。

 しかし、同計画は日清戦争の勃発で一時中断し、戦後、明治28年再び那覇から佐敷まで延長し再出願を行ったが、沖縄鉄道には免許はおりず、この計画は明治31年却下されたのである。

大久保利昭が沖縄県に鉄道敷設計画をした明治27年頃はまだ明治政府の旧慣制度が継続されていたこともあり、、市町村制度もなく、当時は地方組織として現在の市町村に相当する間切とその下部組織として現在の字に相当する村があり、その村から他の村へ移住も認められておらず、又移動も自由ではなかったこと等もあって、鉄道が敷設されても都市と地方への人の移動も殆んど期待できない状態で、むしろ砂糖キビの搬出や砂糖樽などの貨物輸送が主流であったことから沖縄の鉄道事業は本土とは異なり、採算的には極めて困難な状態にあったといえよう。

 明治政府が明治5年1014日に営業運転した新橋〜横浜間の鉄道建設についても財政難の明治政府はイギリスのオリエンタルル銀行から外資をを導入して建設したのであるが、新たに東京〜青森間の鉄道建設には厖大なる資金が必要であったことから、明治政府の逼迫した財政事情ではその資金を調達することは困難であったことから、民間から鉄道建設資金を調達し、その他税制上の優遇措置を講ずることで、半官半民的色彩の日本鉄道が誕生したのである。



              元一般社団法人・万国津梁機構 理事長仲里嘉彦

                        沖縄県浦添市屋冨祖2丁目19

              TEL098−8768896 FAX0988768473





posted by 春夏秋冬 at 06:25| Comment(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。